こんにちは、ヨハニです。
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最近、ふと思ったことがあります。
私は、人の心をよく読んでいるのかもしれない。
……もちろん、超能力があるわけではありません(笑)。
相手の心の中を直接見ることなんて、できません。
それでも、これまでの会話や、その人との関係性。
そして、その人のちょっとした表情や声のトーン、言葉の選び方、間の取り方、所作。
そういうものを見ていると、
「今、この人はこう思っているんじゃないかな」
と感じることがあります。
もちろん、外れることもあります。
多分、けっこうあります(笑)。
でも、当たっていることも、少なくない。
そして最近、私は気づきました。
問題は、それが当たっているか、間違っているかではないのではないか。
そこではありませんでした。
1.私は、人の心を「読んでいる」のだろうか
例えば、これまでの会話から、
「この人は、こういうことを大切にする人だ」
ということが、ある程度分かっているとします。
そこに、今日の相手のちょっとした言葉や所作が加わる。
すると、
「もしかすると、今こう感じているのでは?」
という考えが浮かびます。
私は、それを「人の心を読む」と表現していました。
でも、よく考えてみると、少し違うのかもしれません。
私は、相手の心を直接読んでいるわけではない。
これまでに得た情報を材料にして、ひとつの仮説を立てている。
そう考えると、少し分かりやすくなります。
「きっとこうだ」
ではなく、
「こうなのかもしれない」
です。
そして、その仮説を持ったまま相手と接する。
これは、仕事でも人間関係でも、私が自然にやってきたことなのかもしれません。
2.でも、仮説を立てると私の心も動いてしまう
ここからが、今回の本題です。
相手について、
「もしかすると、今こう思っているのでは?」
と感じたとします。
すると、そこで終わりません。
私の心まで反応してしまう。
相手が困っていそうなら、心配になる。
「自分が何か傷つけてしまったのでは?」
と思えば、不安になる。
相手の考え方にがっかりすることもある。
腹が立つこともある。
時には、自分自身が傷つくこともある。
つまり、
相手の心を感じ取ったつもりになる
↓
その情報に自分の心が反応する
ということが起きている。
だから、疲れる。
よく考えてみれば、当然なのかもしれません。
人の感情を感じ取るだけなら、まだいい。
でも、それに対して毎回、自分の感情まで動いていたら……。
そりゃあ、疲れます(笑)。
3.当たっているかどうかは、実はそれほど重要ではなかった
ここで、もう一つ気づいたことがあります。
「相手の心を読んだつもりだけど、本当に当たっているの?」
そう聞かれたら、
分かりません(笑)。
本人に聞いてみなければ、本当のところは分からない。
私が、
「この人は怒っている」
と思っていても、実は疲れていただけかもしれない。
「嫌われたのかな」
と思っていても、相手は何も考えていなかったかもしれない。
だから、本当は「当たっている」「間違っている」ということを、そんなに簡単には判断できません。
でも、今回気づいたのは、
そこは、もう大きな問題ではないのではないか
ということです。
なぜなら、
私はそう感じ取ってしまった。
そして、
その結果、私の心が反応している。
こちらは事実だからです。
相手が本当はどう思っていたかとは別に、
「私はこう感じた」
という現実が、自分の中にはある。
だったら、考えるべきなのは、
「当たっているか?」
だけではなく、
「私は、この反応をどう扱うのか?」
なのかもしれません。
4.私が選べるのは「相手の心」ではなく「自分の対応」
相手が何を考えているのか。
それを完全にコントロールすることはできません。
そもそも、本当に分かっているのかどうかも分からない。
でも、
自分がどう対応するかは、ある程度選ぶことができる。
例えば、
「この人、今ちょっと嫌な気持ちになっているかもしれない」
と感じたとします。
そこで、
「知らないよ」
とすることもできる。
逆に、
「大丈夫ですか?」
と声をかけることもできる。
そのどちらが正解なのかは、その場になってみないと分かりません。
でも私は最近、
「自分が選べる方法を選ぼう」
と思うようになりました。
もちろん、毎回うまくできるわけではありません。
心が乱れることもあります。
腹が立つこともあります(笑)。
それでも、
「今の自分にできる、これがベストかな」
と思える対応を、自分で選んでみる。
その選択が正しかったかどうかは、後になって分かることもあるでしょう。
もしかしたら、間違っているかもしれない。
それでも、
「自分で選んで対応した」
ということには意味がある気がしています。
今回、気づいたこと
私は、人の心を読んでいると思っていました。
でも、もしかすると違うのかもしれません。
これまでの会話や関係性から相手をある程度理解し、そこに今の表情や言葉、所作などを重ねて、
「こうなのではないか?」
という仮説を立てている。
そして、その仮説に私自身の心が反応する。
だから、疲れる。
でも、最近は少しだけ考え方が変わってきました。
相手の心を完全に理解することはできない。
だったら、
自分がどう対応するのかを、自分で選んでみよう。
その選択が完璧かどうかは分かりません。
でも、自分で考えて、自分なりに選んだ。
まずは、それでいいのではないか。
そして、この考え方をさらに進めていくと……
どうやら私は、
「どう対応するか」だけではなく、「どんな気持ちで相手を見るのか」
というところまで考え始めているようです。
ここまで考えてくると、少し不思議な言葉が頭に浮かんできます。
「愛」
……いやいや。
まだ早いですね(笑)。
この話は、もう少し先で考えてみようと思います。
