ヨハニログ

人の心が読める。それが私を疲れさせていた⑤~愛が何なのか、私はまだよくわからない~

1.「愛=これ」と言えるほど、私は愛を知らない

今回の話をしていると、

「愛とはこういうものです」

と、何か答えを出しているように見えるかもしれません。

でも、そういうつもりはありません。

愛について語れるほど、私は愛を理解していないと思っています。

「愛=犠牲」という考え方もある。

それを私は否定するつもりもありません。

誰かのために自分の時間を使うこと。

自分の何かを差し出すこと。

自分より相手を優先すること。

それを「愛」と感じる人もいるでしょう。

それは、それでいいと思う。

私には、まだよく分からない。

だから、

「愛とは、これです」

とは言えません。

ただ、今回、自分自身のことを考えていて、

「これは愛の一部分と言ってもいいんじゃないかな?」

と思った。

それだけです。

2.私が考えているのは、「愛の形」の一つなのかもしれない

私の場合は、

「家に帰ってまで疲れたくない」

という、とても自分勝手なところから始まりました(笑)。

だから、

「現場で感情に引き込まれないようにしよう」

と思う。

そのうえで、

「どう対応したら、自分は納得して家に帰れるだろう?」

と考える。

時には、相手に心ある声掛けをする。

時には、あえて何も言わない。

時には、距離を置く。

その時々で、自分なりの方法を選ぶ。

そして、その選択の中に、

「相手をどう見るか」

という心の向きがある。

もし、その心の向きが相手にも向いているのなら、

「これも愛の一部分なんじゃない?」

と私は思うようになりました。

ただし、

「だから、これが愛です」

とは言いません。

あくまで、

「こういうものも、愛の中に入るのかもしれない」

くらいです。

3.苦しくなったら、選択を変えてもいい

そして、今回もう一つ大切だと思ったことがあります。

もし、

「相手のために」

と思ってやっていたことが、自分を苦しめるようになったら。

もし、

「これを続けるのは、もうしんどい」

と思うようになったら。

私は、

選択を変えていいと思っています。

例えば、

今までは声をかけていたけれど、今回は何も言わない。

今までは相手の気持ちを考えていたけれど、今回は少し距離を置く。

今までは引き受けていたけれど、今回は断る。

それでいい。

なぜなら、

「自分で選ぶ」

ということが、今回の話の出発点だからです。

一度選んだからといって、その選択を一生続けなければならないわけではない。

やってみて、

「これは違うな」

と思ったら、また選び直せばいい。

私は、それでいいと思っています。

4.結局、私は自分の人生に帰りたい

ここまで考えてきて、最初の話に戻ります。

私は、

家に帰ってまで疲れたくない。

ただ、それだけだったのかもしれません(笑)。

仕事で何があっても、

人と関わって何を感じても、

嫌なことがあっても、

最後には自分の人生に帰りたい。

家族と過ごしたい。

自分の時間を過ごしたい。

ブログを書いたり、歩いたり、お茶を飲んだり。

何でもいい。

自分の人生を、自分のものとして過ごしたい。

だからこそ、

その日の感情を、どこまで家に持ち帰るのか。

そこは自分で選びたい。

もちろん、全部を切り替えられるわけではありません。

嫌なことは、家に帰ってからも思い出します(笑)。

それでも、

「あの場面で、自分なりにできることはやった」

と思えれば、少し違う。

完璧な対応ではなかったかもしれない。

正解だったかどうかも分からない。

でも、

自分で選んだ。

その納得があれば、次の日へ進める。

そして、その選択の中に相手への心が少しでもあったのなら、

私はそれを、

「これも愛の一部分なのかもしれないな」

と思っておこうと思います。

今回、気づいたこと

今回のシリーズで、私は「愛」について答えを出したわけではありません。

むしろ、

「やっぱり、愛ってよく分からないな(笑)」

というのが正直なところです。

でも、

分からないからこそ、考えることができる。

今回の私は、

「疲れたくない」

から始めました。

そのために、

感情に引き込まれないようにする。

そして、

自分で対応を選ぶ。

その基準は、

「家に帰ってからの自分に、これを持ち込まない」

こと。

その選択の中に、

相手への心がある。

相手を傷つけないようにする。

相手の立場を少し考える。

必要なら、心ある声掛けをする。

でも、苦しくなったら選び直す。

そんな一連の流れを見ていたら、

私はふと思いました。

「ね、やっぱり愛だよ」

……と(笑)。

もちろん、

「これが愛だ!」

という意味ではありません。

「こういうものも、愛の一部分と言っていいんじゃない?」

というくらいの話です。

そして、もしかすると、

自分の人生を守ろうとすることと、

誰かに心を向けることは、

思っていたほど離れていないのかもしれません。

私はこれからも、

人の心を感じ取ってしまうでしょう。

そして、たぶん疲れるでしょう(笑)。

そのたびに、

「どう対応する?」

と考える。

自分で選ぶ。

必要なら、また選び直す。

その中で、

「これは自分のためだけなのか」

「相手にも何か向いているのか」

そんなことを考える。

そして、もしそこに「愛」と呼べるものが少しでもあるのなら、

それでいい。

愛が何なのかは、まだ分からない。

でも、

「これも愛の一部なのかもしれない」

と思えるものが、少しずつ増えていく。

今の私には、それくらいがちょうどいいのかもしれません。

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