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ル―テインは、私の人生をどこへ連れていくのだろう①~ル―テインが崩れると、生活まで崩れ始めた~

第1章 ブログから少し離れていた

ここ最近、ブログ制作から少し距離ができていました。

ほんの少しの期間です。

それでも、何となく生活のリズムが以前と違う。

本を読んだり、考えたりする時間はありました。

だから、何もしていなかったわけではありません。

むしろ、インプットはしていました。

それでも、何かが足りない。

今になって考えると、それはアウトプットだったのだと思います。

自分の中に入ってきたものを、文章にして外へ出す。

ブログを書くという行為が、いつの間にか私の生活の一部になっていたのでしょう。

それが少し途切れたことで、生活全体のリズムまで変わってきました。

ブログを書かない。

すると、他のルーティンにも少しずつ影響が出てくる。

最初は、そんなことがあるのかと思いました。

でも、実際に自分の身に起きてみると、意外と納得できました。

第2章 仕事に気持ちを持っていかれていた

もう一つ、大きかったのが仕事です。

最近、仕事に気持ちを大きく引き込まれていました。

忙しかったというだけではありません。

頭の中まで仕事に持っていかれていたように思います。

しかも、今振り返ると、そこまで生産性のあることをしていたわけではありません。

考えて、疲れて、また考える。

そんな時間が増えていました。

仕事そのものよりも、「仕事のことを考えている時間」に疲れていたのかもしれません。

私は以前、仕事が生活の中心になってしまう時期がありました。

今回、その生活に戻りそうになっていた。

もちろん、仕事は大切です。

これからも責任を持ってやっていきたいと思っています。

でも、自分の人生まで仕事に引っ張っていかれる必要はありません。

今回の私は、その境目が少し曖昧になっていたのだと思います。

そして、そのことに気づかせてくれたのが、次の出来事でした。

第3章 スクワットが、なぜか重く感じた

スクワットです。

以前なら、特に何も考えずにやっていました。

「今日はスクワットを頑張ろう!」

などと、毎回モチベーションを上げているわけではありません。

いつものことだから、やる。

それだけです。

ところが今回は、スクワットをすることが少し負担に感じられました。

「今日はやらなくてもいいかな」

そんな気持ちが出てきたのです。

そして、さらに面白かったのが、スクワットそのものの価値まで色あせて感じられたことでした。

スクワットが急に意味を失ったわけではありません。

私の考え方が変わったわけでもありません。

ただ、生活のリズムが少し乱れたことで、以前は自然にできていたものが、急に「やらなければならない一つの作業」に見えてきたのです。

そこで私は思いました。

ルーティンというものは、一つ崩れると、他のものまで崩れていくのではないか。

一つ一つは小さなことです。

でも、小さなものがつながって、私の日常を作っている。

その一つが外れることで、全体のバランスまで変わってしまう。

今回、身をもって経験しました。

第4章 以前の生活に戻りそうになっていた

さらに考えてみると、今回の出来事は単純に「ブログを書かなかった」という話ではありませんでした。

私は、自分の生活を自分で動かす時間が少なくなっていたのだと思います。

仕事に気持ちを持っていかれる。

ブログから少し離れる。

ルーティンが乱れる。

すると、自分の時間まで少しずつ薄くなっていく。

そして、以前のように「仕事を中心に一日が回っている状態」に戻りそうになっていました。

大したことではありません。

だからこそ、気づきにくかった。

でも、私は今回の経験で、

「自分の人生を歩くためにも、ルーティンが必要なのではないか」

と思うようになりました。

ルーティンには、大きな刺激がありません。

一つ一つに毎回、意味を持たせる必要もない。

むしろ、何も考えずに淡々とやれるくらいがいい。

でも、その淡々とした営みがあることで、私は自分の生活へ戻ってこられるのかもしれません。

まとめ ルーティンは、私の人生をどこへ連れていくのだろう

今回、ルーティンが少し崩れたことで、初めてその存在を意識しました。

続いているときは、ほとんど意識しません。

顔を洗うことや、トイレに行くことと同じように、「するもの」になっているからです。

ところが、少し途切れると、その存在の大きさに気づく。

ブログを書くこと。

歩くこと。

スクワットをすること。

本を読むこと。

一つ一つに大きな力があるわけではありません。

それでも、それらを淡々と続けていることで、私の生活は私の方向へ進んでいたのかもしれません。

今回、少し乱れたことで、それが見えました。

そして、ここからもう一つの疑問が生まれました。

私は昔から、どちらかというと飽きやすい人間です。

強い刺激を求めるところもあります。

それなのに、なぜか私はコツコツ続けることに充実感を感じることがあります。

ルーティンには、刺激がない。

それでも、続けていると何かが変わっていく。

もしかすると、ルーティンには私がまだ気づいていない力があるのかもしれません。

ルーティンは、私の人生をどこへ連れていくのだろう。

次回は、この「ルーティンそのもの」について、もう少し考えてみたいと思います。

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