こんにちは、ヨハニです。
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前回は、「モンクモードって何だ?」というところから、自分なりに考えてみました。
モンクと聞くと、山にこもって人との接触を減らし、自分自身と向き合う姿を想像します。
でも、私の場合は少し違う。
仕事もありますし、家族もいます。
人と接しない生活は、現実的ではありません。
それどころか、人と接することで得られるものもたくさんあります。
だから私は、
「モンクモードの自分が、人と接する」
という考え方が、今のところ一番しっくりきています。
では、自分の中に軸足を置いたまま人と接すると、実際にはどうなるのでしょうか。
今回は、そこから考えてみます。
1 人と接すると、いろいろなものが入ってくる
人と話していると、本当にたくさんの情報が入ってきます。
言葉だけではありません。
相手の表情や声のトーン。
その場の空気。
相手がどう考えているのか。
そして、自分がそれをどう感じたのか。
一人でいるときには起こらないことが、次々と起こります。
褒められれば嬉しい。
期待されれば応えたくなる。
否定されれば、気になる。
自分と違う考えを聞けば、「そういう考え方もあるのか」と思うこともある。
反対に、「いや、それは違うだろう」と思うこともある。
つまり、人と接するということは、常に何らかの刺激を受けることなのだと思います。
そして、その刺激によって、自分の心は動きます。
2 心が揺れることは、悪いことではない
私は以前なら、
「人に振り回されないようにしよう」
「もっと自分をしっかり持たないといけない」
と思っていたかもしれません。
でも、最近は少し考え方が変わりました。
そもそも、人と接して心が動くのは普通なのではないか。
嬉しいことがあれば嬉しい。
嫌なことがあれば嫌な気持ちになる。
誰かの言葉に傷つくこともある。
逆に、誰かの言葉に救われることもある。
それを全部なくしてしまったら、人と接する意味そのものが薄くなってしまう気もします。
だから、
「揺れないこと」が自分軸なのではない。
私は、そんなふうに考えるようになりました。
心が揺れること自体は、悪いことではない。
問題は、その後なのではないでしょうか。
3 自分軸とは「自分に戻ってこられること」なのかもしれない
誰かから何かを言われた。
その瞬間、心が揺れた。
そこで、
「相手がそう言うのだから、自分が間違っているのかもしれない」
と、そのまま相手の考えを自分の答えにしてしまう。
あるいは、
「どうすれば相手に認めてもらえるだろう」
と、相手の評価を基準に行動する。
こうなると、少しずつ自分の中心が外側へ移っていくような気がします。
反対に、
「そういう考え方もあるな」
と受け止めたうえで、
「では、自分はどう思うんだろう?」
と考えてみる。
それなら、相手の意見を聞いても、自分のところに戻ってこられる。
私は、この「戻ってこられること」が、自分軸の一つなのではないかと思っています。
自分軸とは、何があっても考えを変えないことではない。
人の意見を聞かないことでもない。
むしろ、人の意見を聞き、影響を受けたうえで、
最後は自分で考える。
そのことなのではないでしょうか。
4 世間の中で生きる以上、刺激はなくならない
とはいえ、日常生活から刺激をなくすことはできません。
仕事をしていれば、評価されることもあります。
注意されることもあります。
誰かと比較することもあります。
家に帰れば、家族との出来事があります。
スマートフォンを見れば、ニュースやSNSから大量の情報が入ってきます。
つまり、現代に生きている限り、刺激から完全に逃れることは難しい。
だから私は、
「刺激を受けない人になろう」
とは思いません。
それよりも、
刺激を受けても、自分のところへ戻ってこられる人になりたい。
そう思います。
そのためには、自分の中に「戻る場所」が必要です。
何を大切にしているのか。
どんな生活をしたいのか。
何をしていると心地いいのか。
何を積み重ねていきたいのか。
そういうものが少しずつ分かってくると、外から何かが入ってきても、全部をそのまま受け入れなくてもよくなる。
「これは自分に必要だな」
「これはちょっと違うな」
と、自分なりに考えられる。
そして、ここで私は一つの疑問を持ちました。
では、その「自分の戻る場所」は、どうやって作られていくのだろう。
自分軸は、最初から自分の中にあるものなのだろうか。
それとも、日々の生活の中で少しずつ育っていくものなのだろうか。
最近の私は、どうも後者なのではないかと思っています。
今回、気づいたこと
人と接すれば、心は揺れる。
でも、それは悪いことではない。
人と接するからこそ、自分では気づかなかったことに気づくこともある。
大切なのは、揺れないことではなく、
揺れたあとに、自分のところへ戻ってこられること。
そのためには、自分が何を大切にしているのかを知っておく必要がある。
そして、その「自分の戻る場所」は、日々の生活の中で少しずつ作られていくのかもしれません。
そう考えると、私が普段何気なく続けている読書やブログ、ウォーキングなども、単なる習慣ではないように思えてきます。
もしかすると、それらは少しずつ自分の軸を作っているのかもしれない。
ただ、ここにも一つ面白い問題があります。
こうした習慣には、すぐに「やってよかった!」と分かるような派手な効果がありません。
それなのに、なぜ私たちは強い刺激には惹かれ、静かなものの価値を忘れてしまうのでしょう。
次回は、そんな**「刺激」そのものについて、もう少し考えてみたいと思います。**

