ヨハニログ

ヨハニ少年へ④~もう一度、『かっこいい』を取り戻そう~

第1章 「かっこいい」は、誰かのためじゃなくていい

40代になって、昔のことを振り返るようになりました。

その中で、

「もう一度、かっこいいを求めてみてもいいんじゃないか」

と思うようになりました。

ただし。

若い頃と同じ「かっこいい」ではありません。

昔は、周りとの比較もありました。

誰かからどう見られるか。

誰かから認められるか。

そういうことを気にしていた。

でも今は、

誰かにかっこいいと思ってもらう必要はない。

そんなふうに思います。

自分が、

「これ、いいな」

と思えばいい。

「この服、似合ってるな」

と思えばいい。

「今日の俺、かっこいいじゃん」

でもいい(笑)。

それが誰かに理解される必要なんてありません。

むしろ、

「それのどこがかっこいいの?」

と言われても、

「いや、俺は好きなんだよ(笑)」

でいい。

私にとっての「かっこいい」は、そういうものになってきました。

第2章 思い切って、やってみる

そして、40代になって改めて気づいたことがあります。

私は、

思い切って振り切れる自分が、結構好きなのです(笑)。

興味を持つ。

考える。

そして、やってみる。

しかも、やるなら中途半端にせず、思い切ってやってみる。

今年の夏も、そうでした。

家族と出かけたとき、海水浴場に近い無人駅で、家族を待っていました。

私は丸メガネをかけていました。

ちょっとだけ、

「文化人っぽくしてみようかな」

なんて思っていたのです(笑)。

すると、若い女性が私のところへやってきて、駅員さんと間違えて声をかけてきました。

普通なら、

「駅員さんに間違われた(笑)」

という出来事です。

ところが私は、

「あれ?」

と思いました。

そして、

「駅員さんに間違われるって、俺、イケてるんじゃない?(笑)」

と思ったのです。

もちろん、他の人から見れば、別にかっこいい出来事ではないでしょう。

でも、私はこの出来事が結構気に入っています。

丸メガネをかけて、ちょっと文化人を装って。

その結果、駅員さんに間違われる。

なんだか面白い。

そして、

「そこまでそれっぽく見えたのなら、それも悪くないな(笑)」

と思える。

私は、こういう自分が結構好きです。

第3章 頭の中だけでは、自分にならない

なぜ私は、こんなふうに「やってみる」ことを大切にするようになったのだろう。

振り返ると、学生時代の経験と、社会人になってからのある研修が大きかったように思います。

学生時代の私は、いろいろなことに興味を持ちました。

陶器。

茶道。

読書。

歴史。

地域の活動。

その時は、それが何の役に立つのかなんて、ほとんど考えていませんでした。

ただ、

「面白そう」

「気になる」

と思ったら、触れてみる。

今思えば、あの時期はたくさんの種をまいていたのだと思います。

そして、私は今でも、

「種まきは一生するものなんじゃないか」

と思っています(笑)。

一方、社会人になってから受けた、ある研修でも印象に残っていることがあります。

その研修は、発言しなければ先へ進めないような内容でした。

最初は、

「ここで発言したら、みんなにどう思われるんだろう」

ということを考えました。

やっぱり、少し怖い。

変なことを言ったと思われたくない。

間違ったことを言いたくない。

でも、実際に発言してみると、

「あれ?」

と思いました。

もちろん、周りがどう思ったのかは分かりません。

でも、

思っていたほど、それは自分に影響しなかった。

研修が終わってしまえば、それまでのことです。

そして、それは実生活でも同じなのではないか。

そう思うようになりました。

さらに、もう一つ実感したことがあります。

頭の中で、

「こうしたらいいんじゃないか」

「こんなことをやってみたい」

「こういう考え方もあるんじゃないか」

と、どれだけ考えていても。

発言しなければ、行動しなければ、現実には何も起こらない。

自分の中にあるだけでは、まだ何も始まっていない。

発言してみる。

やってみる。

形にしてみる。

そこで初めて、自分の前に何かが現れる。

それが、その研修を通して私が実感したことでした。

もちろん、これは私自身の経験から感じたことです。

これが誰にでも当てはまるのかは、私には分かりません。

でも、私は今でも、この感覚を大切にしています。

第4章 具現化して、初めて「自分」になる

だから私は、

自分の中にあるものを、できるだけ外へ出してみたい。

と思うようになりました。

興味を持ったこと。

考えていること。

面白いと思ったこと。

「こんなのやってみたい」と思ったこと。

それを、実際に形にしてみる。

文章を書く。

写真を撮る。

何かを作る。

誰かに話す。

実際にやってみる。

うまくいくかどうかは、その次です。

まずは、自分の中にあるものを、現実の世界に出してみる。

なぜなら、

具現化して、初めて自分を表すことができる。

私は、そんなふうに思っているところがあります。

頭の中には、いろいろなものがある。

でも、それだけでは他の誰にも見えません。

自分自身ですら、

「本当に自分はこれが好きなのか?」

と分からなくなることがある。

でも、実際にやってみる。

形にしてみる。

すると、

「ああ、俺ってこういうことが好きなんだな」

と分かる。

そして、その一つ一つが積み重なっていく。

好きなもの。

興味を持ったこと。

やってみたこと。

失敗したこと。

思い切って振り切ったこと。

そういうものが少しずつ積み重なって、

「これが自分なんだ」

というものになっていく。

私は、そんなふうに思っています。

今回、気づいたこと

40代になって、私はもう一度「かっこいい」を取り戻したいと思うようになりました。

でも、若い頃と同じものではありません。

誰かから、

「かっこいいですね」

と言ってもらうためでもない。

誰かに認めてもらうためでもない。

自分が、

「これ、いいな」

と思えるものを大切にする。

そして、興味を持ったら、実際にやってみる。

考えたら、形にしてみる。

やるなら、時には思い切って振り切ってみる。

その結果、

「今日の俺、結構かっこいいじゃん(笑)」

と思えたら、それでいい。

今年の夏、丸メガネをかけて文化人を装っていた自分も。

駅員さんに間違われた自分も。

私は結構、気に入っています(笑)。

誰かに評価されるような出来事ではないかもしれない。

でも、私自身が、

「こういうことをやっている俺、結構好きだな」

と思える。

それで十分です。

そして今、こうしてブログを書いていることも、きっと同じです。

頭の中で考えているだけではなく、文章にして外へ出してみる。

すると、

「こんなことを考えていたんだな」

と、自分でも気づくことがあります。

もしかすると、

自分とは、最初から完成しているものではないのかもしれません。

興味を持って。

考えて。

やってみて。

形にして。

また何かに興味を持って。

そうやって積み重ねていったものが、自分になっていく。

そして、その積み重ねこそが、

「ヨハニ」

なのかもしれません。

だから私は、これからも種をまいていこうと思います。

何になるかなんて、分からなくてもいい。

すぐに役に立たなくてもいい。

「なんか面白そう」

と思ったら、やってみる。

そして、できることなら、思い切ってやってみる。

それで自分が少し活き活きするなら、それはきっと、私にとっての「かっこいい」です。

ヨハニ少年。

君があの頃、必死になって探していた「正しい電車」。

もしかすると、人生にはそんなものが最初から用意されているわけではないのかもしれない。

自分で乗ってみる。

降りてみる。

また乗ってみる。

そして、自分が面白いと思うものを、少しずつ持ち込んでいく。

そうやって、自分の乗っている電車を、自分のものにしていけばいい。

人生は、自分で少しずつ「自分の人生」にしていけばいいんだよ。

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