こんにちは、ヨハニです。
※本ページはプロモーションを含みます。
ここまで、ルーティンについて考えてきました。
始まりは、ほんの小さな違和感でした。
ブログから少し離れた。
仕事に気持ちを持っていかれた。
すると、スクワットまで負担に感じるようになった。
そこから、
「ルーティンとは何なのだろう」
と考え始めました。
毎回やる気を出すものではない。
一つ一つに大きな刺激があるわけでもない。
それでも、日々の中に置いておくことで、自分の生活を支えてくれる。
今回は、このシリーズの最後として、ルーティンと「自分の人生を歩く」ということについて考えてみたいと思います。
第1章 人生を前に進めるのは、大きな挑戦だけではない
私は以前、人生を前に進めるには、大きな決断や挑戦が必要なのだと思っていました。
何かを始める。
環境を変える。
目標を決める。
そして、それに向かって頑張る。
もちろん、そういう瞬間も人生にはあります。
でも、今回のことで少し見方が変わりました。
人生を動かしているのは、そうした分かりやすい出来事だけではないのかもしれません。
朝起きる。
歩く。
スクワットをする。
本を読む。
ブログを書く。
一回だけなら、どれも大したことではありません。
でも、それが続いていく。
そして、その一日が次の日につながっていく。
振り返ってみれば、人生というのは、案外こうした小さな行動の連続なのかもしれません。
第2章 ルーティンは、自分の人生に戻るための場所
今回、仕事に気持ちを大きく持っていかれたことで、私は少し以前の生活に戻りそうになりました。
仕事をしている時間だけではありません。
頭の中まで仕事になってしまう。
そうすると、自分の時間まで仕事に占領されていくような感覚になります。
そんなとき、ルーティンがあることの意味を感じました。
スクワットをする。
歩く。
ブログを書く。
それは、誰かに頼まれたものではありません。
自分のために続けている、自分自身の営みです。
だから、それを再開すると、
「ああ、自分の生活が戻ってきたな」
と感じる。
ルーティンは、何かを達成するためだけにあるのではない。
忙しさや周囲の出来事に流されそうになったとき、自分の時間を取り戻すための目印にもなるのだと思います。
第3章 人生は、決めた通りには進まない
ここまで考えて、もう一つ思うことがあります。
人生は、思った通りには進みません。
予定していたことができない日もある。
仕事に気持ちを持っていかれる日もある。
ルーティンそのものが崩れることだってあります。
今回の私が、まさにそうでした。
だからといって、一度乱れたら終わりではない。
また戻ればいい。
この「また戻れる」という感覚は、以前より大切に思えるようになりました。
完璧に続けることよりも、
崩れたときに、自分の生活へ戻ってこられること。
その方が、長い人生では重要なのかもしれません。
ルーティンは、毎日を完璧にするためのものではない。
乱れたときに、自分のいる場所を思い出させてくれるものでもある。
今回の小さな危機から、私はそんなことを感じました。
第4章 ルーティンは、人生そのものではない
ここまでルーティンについて考えてきましたが、ルーティンそのものを目的にしてしまうと、少し違う気もします。
スクワットをするために生きているわけではありません。
ブログを書くためだけに毎日を過ごしているわけでもありません。
ルーティンは、あくまで生活の一部です。
その一部を整えることで、自分がやりたいことを考える余裕が生まれる。
仕事だけではない。
家族との時間もある。
一人の時間もある。
新しいことに興味を持つこともある。
何もしない日だってある。
そうしたもの全部を含めて、自分の人生です。
だから私は、ルーティンに「人生を変えてもらおう」とは思いません。
ただ、自分の人生を自分で歩いていくために、足元を整えておく。
それくらいが、ちょうどいいのだと思います。
まとめ 自分の人生を、自分で歩いていく
今回、ルーティンが少し崩れたことで、私はその存在に気づきました。
特別なものではありません。
派手でもない。
毎回、やる気があるわけでもない。
それでも、私の生活の中にある。
そして、そこへ戻ると、自分の時間が戻ってくる。
これからも、私は飽きるでしょう(笑)。
刺激を求めることもあると思います。
ルーティンを怠ることもあるでしょう。
でも、そのたびに戻ればいい。
完璧でなくてもいい。
昨日と同じでなくてもいい。
ただ、自分の生活を自分の手元に置いておく。
その積み重ねの先に、どんな人生が待っているのか。
今はまだ分かりません。
だからこそ、面白い。
ルーティンは、私の人生をどこへ連れていくのだろう。
その答えは、これからの私自身が歩きながら見つけていけばいい。
