ヨハニログ

私の繊細さは、私をどこへ連れていくのだろう④~繊細さを、苦手なものやコンプレックスにしない~

① 「繊細だから、生きづらい」と決めつけなくてもいい

確かに、疲れることはある

繊細だと感じることで、困ることはあります。

人の言葉が気になる。

空気を読みすぎる。

考えすぎる。

他人の感情に引っ張られる。

小さなことをいつまでも覚えている。

そして、頭の中が疲れる。

これは、私自身にも思い当たることがあります。

だから、

「繊細さが自分を疲れさせることがある」

というのは、確かにそうなのだと思います。

でも、

「疲れることがある」=「悪い性質」

なのでしょうか。

最近は、そこに少し疑問を持つようになりました。

同じ性質でも、場面が変われば意味が変わる

例えば、

「人の表情が気になる」

という性質。

これだけを見ると、

「気にしすぎ」

とも言えます。

でも、別の場面では、

相手の変化に気づける。

相手が困っていることに気づける。

場の空気を読むことができる。

ということにもなります。

「いろいろなことを考えてしまう」

という性質も、

考えすぎれば疲れます。

でも、

一つのことを深く考えられる。

別のものと結びつけられる。

「そもそも、なぜだろう?」と掘り下げられる。

という側面もある。

そう考えると、

性質そのものが良いとか悪いとかではなく、使われる場面によって見え方が変わる

のかもしれません。

② 短所だと思っていたものを、別の角度から見てみる

「気にしすぎる」は「よく見ている」とも言える

私は以前、

「こんなに気にする自分は、面倒くさいな」

と思うことがありました。

でも、少し角度を変えてみる。

「気にする」ということは、

それだけ何かをよく見ているということでもあります。

人の変化。

自分の変化。

環境の変化。

体の変化。

生活の小さな違和感。

そういうものに気づける。

もちろん、何でも気にしてしまえば疲れます。

だから「気にすることをやめる」のではなく、

「気づいたことを、どう扱うか」

のほうが大切なのかもしれません。

「考えすぎる」は「考えることができる」とも言える

これも同じです。

考えすぎてしまう。

これは、確かに疲れます(笑)。

でも私は、考えること自体は嫌いではありません。

むしろ好きです。

一つのことから別のことを考える。

「なぜだろう?」

と掘り下げる。

自分の経験と結びつける。

本を読んで、また考える。

そして文章にしてみる。

こうして今、ブログを書いていることも、その延長線上にあるのだと思います。

もし私が、

「考えすぎる自分はダメだ」

と考えて、その性質を全部なくそうとしたら、

もしかするとブログを書くことも、

文章を考えることも、

何かを探究することも、

今より少なくなっていたかもしれません。

そう考えると、

短所だと思っていたものの中に、自分らしさが隠れていることもある

のではないでしょうか。

③ 「繊細さ」を消すのではなく、扱い方を覚える

ここまで考えて、私は一つの方向に考え方が変わってきました。

繊細さを、

「なくさなければならないもの」

として考えるのではなく、

「扱い方を覚えていくもの」

として考えてみる。

例えば、外からいろいろなものを受け取りすぎたと感じたら、

少し一人になる。

歩く。

本を読む。

お茶を飲む。

植物を見る。

文章を書く。

海を見る。

第3話で考えた、

「自分に戻る時間」

を使う。

そうすれば、

「受け取らない自分になる」

必要はありません。

受け取っても、

「これは自分の中に残すものなのか?」

と考えられる。

必要なものなら残す。

必要のないものなら、手放す。

そして、自分のところへ戻ってくる。

そんな付き合い方があってもいいのかもしれません。

自分を責める材料にしない

そして、もう一つ大切なのは、

自分の性質を、自分を責める材料にしないこと

だと思っています。

「また気にしてしまった」

「また考えすぎた」

「また人と比べてしまった」

そんなとき、

「だから自分はダメなんだ」

まで行ってしまうと、

本来はただの性質だったものが、

自分自身への否定に変わってしまいます。

それよりも、

「ああ、また受け取りすぎたのかな」

「ちょっと頭の中がいっぱいになっているのかな」

くらいでいい。

そう思えるだけでも、

少し自分に優しくなれる気がします。

④ もしかすると、私が変えるべきなのは「性質」ではなく「付き合い方」なのかもしれない

ここまで考えてくると、

私が最初に考えていたことと、少し違う場所にたどり着きました。

最初は、

「もしかして、自分は繊細なのかな?」

「繊細だから、もっと強くならなければ」

と考えそうになっていたのです。

でも、今は少し違います。

繊細さがある。

いろいろなものを受け取る。

考える。

時には疲れる。

でも、そこから外へ出す方法もある。

自分に戻る時間もある。

だったら、

繊細さそのものを変える必要はないのかもしれない。

変えるとしたら、

その性質との付き合い方なのではないか。

そんなふうに思うようになりました。

「弱さ」ではなく、「自分の特徴」として見てみる

人には、それぞれ特徴があります。

すぐに行動できる人。

じっくり考える人。

人と話すことで元気になる人。

一人の時間で回復する人。

細かいことによく気づく人。

大きな全体像を見るのが得意な人。

私はその中で、

「いろいろなものを受け取って、深く考える」

という特徴を持っているのかもしれません。

もちろん、それがいつでも良い方向に働くわけではありません。

でも、

だからこそ、自分なりの扱い方を覚えていけばいい。

そう思えるようになってきました。

まとめ 短所だと思っていたものを、もう一度眺めてみる

今回、私が考えたかったのは、

「繊細さは素晴らしい才能です」

という話ではありません。

そんなに簡単なものでもないと思っています(笑)。

疲れることもあります。

気にしすぎることもあります。

考えすぎることもあります。

人と比べてしまうこともあります。

でも、

だからといって、その性質そのものを否定する必要はないのではないか。

そう思うようになりました。

「気にしすぎる」

「よく気づく」

「考えすぎる」

「深く考えられる」

「いろいろ受け取ってしまう」

「いろいろなものを感じられる」

もちろん、これは単純な言い換えではありません。

気づきすぎて疲れることもある。

考えすぎて苦しくなることもある。

だからこそ、

その性質をどう扱うのか。

そこが大切なのだと思います。

私の場合は、

受け取ったものを考える。

必要なものを残す。

不要なものを手放す。

そして、

歩いたり、読んだり、書いたり、植物を育てたり、お茶を点てたり、海を見たりする。

そうやって少しずつ、自分のところへ戻ってくる。

そんな方法を、これからも探していきたいと思います。

そして、もしあなたにも、

「自分のこんなところが嫌だな」

と思っている性質があるなら、

一度だけ、少し違う角度から眺めてみてもいいのかもしれません。

「これは本当に短所なのだろうか?」

と。

もしかすると、

その性質には、

まだ自分が気づいていない別の顔があるのかもしれません。

私自身も、まだ分かりません。

ただ、ここまで自分のことを振り返ってきて、

一つだけ気になっていることがあります。

もしかすると、

私が「繊細だから」と思っていたものは、私を苦しめるだけのものではなかったのではないか。

そして、

それが今の自分を作っているものの一つなのではないか。

そんな気が、少しずつしてきています。

次回は、このシリーズの最後として、

「では、私の繊細さは、私をいったいどこへ連れていこうとしているのだろう?」

というところまで、もう一度考えてみたいと思います。

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