ヨハニログ

『モンクモード』っていうカッコイイ言葉を考えてみた②~人と接すると、自分は揺れる~

1 人と接すると、いろいろなものが入ってくる

人と話していると、本当にたくさんの情報が入ってきます。

言葉だけではありません。

相手の表情や声のトーン。

その場の空気。

相手がどう考えているのか。

そして、自分がそれをどう感じたのか。

一人でいるときには起こらないことが、次々と起こります。

褒められれば嬉しい。

期待されれば応えたくなる。

否定されれば、気になる。

自分と違う考えを聞けば、「そういう考え方もあるのか」と思うこともある。

反対に、「いや、それは違うだろう」と思うこともある。

つまり、人と接するということは、常に何らかの刺激を受けることなのだと思います。

そして、その刺激によって、自分の心は動きます。

2 心が揺れることは、悪いことではない

私は以前なら、

「人に振り回されないようにしよう」

「もっと自分をしっかり持たないといけない」

と思っていたかもしれません。

でも、最近は少し考え方が変わりました。

そもそも、人と接して心が動くのは普通なのではないか。

嬉しいことがあれば嬉しい。

嫌なことがあれば嫌な気持ちになる。

誰かの言葉に傷つくこともある。

逆に、誰かの言葉に救われることもある。

それを全部なくしてしまったら、人と接する意味そのものが薄くなってしまう気もします。

だから、

「揺れないこと」が自分軸なのではない。

私は、そんなふうに考えるようになりました。

心が揺れること自体は、悪いことではない。

問題は、その後なのではないでしょうか。

3 自分軸とは「自分に戻ってこられること」なのかもしれない

誰かから何かを言われた。

その瞬間、心が揺れた。

そこで、

「相手がそう言うのだから、自分が間違っているのかもしれない」

と、そのまま相手の考えを自分の答えにしてしまう。

あるいは、

「どうすれば相手に認めてもらえるだろう」

と、相手の評価を基準に行動する。

こうなると、少しずつ自分の中心が外側へ移っていくような気がします。

反対に、

「そういう考え方もあるな」

と受け止めたうえで、

「では、自分はどう思うんだろう?」

と考えてみる。

それなら、相手の意見を聞いても、自分のところに戻ってこられる。

私は、この「戻ってこられること」が、自分軸の一つなのではないかと思っています。

自分軸とは、何があっても考えを変えないことではない。

人の意見を聞かないことでもない。

むしろ、人の意見を聞き、影響を受けたうえで、

最後は自分で考える。

そのことなのではないでしょうか。

4 世間の中で生きる以上、刺激はなくならない

とはいえ、日常生活から刺激をなくすことはできません。

仕事をしていれば、評価されることもあります。

注意されることもあります。

誰かと比較することもあります。

家に帰れば、家族との出来事があります。

スマートフォンを見れば、ニュースやSNSから大量の情報が入ってきます。

つまり、現代に生きている限り、刺激から完全に逃れることは難しい。

だから私は、

「刺激を受けない人になろう」

とは思いません。

それよりも、

刺激を受けても、自分のところへ戻ってこられる人になりたい。

そう思います。

そのためには、自分の中に「戻る場所」が必要です。

何を大切にしているのか。

どんな生活をしたいのか。

何をしていると心地いいのか。

何を積み重ねていきたいのか。

そういうものが少しずつ分かってくると、外から何かが入ってきても、全部をそのまま受け入れなくてもよくなる。

「これは自分に必要だな」

「これはちょっと違うな」

と、自分なりに考えられる。

そして、ここで私は一つの疑問を持ちました。

では、その「自分の戻る場所」は、どうやって作られていくのだろう。

自分軸は、最初から自分の中にあるものなのだろうか。

それとも、日々の生活の中で少しずつ育っていくものなのだろうか。

最近の私は、どうも後者なのではないかと思っています。

今回、気づいたこと

人と接すれば、心は揺れる。

でも、それは悪いことではない。

人と接するからこそ、自分では気づかなかったことに気づくこともある。

大切なのは、揺れないことではなく、

揺れたあとに、自分のところへ戻ってこられること。

そのためには、自分が何を大切にしているのかを知っておく必要がある。

そして、その「自分の戻る場所」は、日々の生活の中で少しずつ作られていくのかもしれません。

そう考えると、私が普段何気なく続けている読書やブログ、ウォーキングなども、単なる習慣ではないように思えてきます。

もしかすると、それらは少しずつ自分の軸を作っているのかもしれない。

ただ、ここにも一つ面白い問題があります。

こうした習慣には、すぐに「やってよかった!」と分かるような派手な効果がありません。

それなのに、なぜ私たちは強い刺激には惹かれ、静かなものの価値を忘れてしまうのでしょう。

次回は、そんな**「刺激」そのものについて、もう少し考えてみたいと思います。**

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