こんにちは、ヨハニです。
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前回、
「『疲れる』にも、いろいろある。」
という話を書きました。
相手を傷つけてしまったのではないかと心配する。
相手の考え方にがっかりする。
腹が立つ。
傷つく。
そして、そんな感情を抱えながら、それでも「どう対応しようか」と考える。
どうやら私は、人と関わるたびに、いろいろなものを受け取っているようです。
では、それをどうすればいいのか。
最近、私なりに一つの方法を考えるようになりました。
それは、
感情を切り離すことではありません。
感情に引き込まれないこと。
そして、
自分で対応を選ぶこと。
今回は、このことについて考えてみます。
1.感情をなくす必要はない
まず、私は「感情をなくそう」とは思っていません。
腹が立つときは、腹が立つ。
がっかりするときは、がっかりする。
傷つくときは、傷つく。
それを、
「こんなことを感じてはいけない」
と無理に押さえ込む必要もないと思っています。
むしろ、そうしようとすると、別の疲れが生まれる気がします。
「腹が立ってはいけない」
「気にしてはいけない」
「もっと大人にならなければ」
そうやって自分の感情まで否定してしまう。
それでは、結局、自分の中にもう一つ仕事を増やしてしまいます(笑)。
だから、
「ああ、今の私は腹が立っているんだな」
くらいでいい。
まずは、自分の感情が動いたことを、そのまま認める。
そのうえで、
「さて、ここからどうしよう?」
と考える。
最近は、そんなふうに考えるようになりました。
2.「感情」と「対応」を一度分けてみる
例えば、相手の言葉に腹が立ったとします。
その瞬間、
「なんだ、この人は」
と思う。
当然です。
人間ですから(笑)。
でも、
「腹が立った」ことと、「どう対応するか」は別の話です。
腹が立った。
これは、自分の中に起きたこと。
そのあと、
「何か言い返すのか」
「何も言わないのか」
「少し時間を置くのか」
「相手に声をかけるのか」
それを決めるのは、自分です。
ここを分けて考える。
すると、ほんの少しだけ余白ができます。
感情が動いた瞬間に、そのまま行動まで決まってしまうのではなく、
「今、私はこう感じている。でも、どう対応するかはこれから選べる」
と思える。
この余白が、私には大切なのだと思います。
3.基準は「家に帰ってからの自分」
そして、最近私が対応を選ぶときに、一つの基準にしていることがあります。
それは、
「家に帰ってからの自分に、これを持ち帰りたくない」
ということです。
仕事や人間関係の中で、いろいろなことがあります。
腹が立つこともある。
嫌なこともある。
納得できないこともある。
でも、それを全部家まで持って帰ってしまったら、どうなるでしょう。
家に帰ってからも思い出す。
家族と過ごしているのに、頭の中ではそのことを考えている。
食事をしていても、風呂に入っていても、寝る前まで引きずっている。
それでは、
せっかくの自分の人生まで、その出来事に使われてしまう。
私は、それが嫌なのです(笑)。
だから最近は、
「どうしたら、私は気持ちよく家に帰れるだろう?」
と考えることがあります。
これは、
「嫌なことがあったら、全部忘れましょう」
という話ではありません。
必要なら、きちんと対応する。
言うべきことは言う。
でも、
自分の人生の時間まで、その出来事に渡さない。
そのために、自分で対応を選ぶ。
そんな感覚です。
4.「自分で選んだ」ということが、私を救ってくれる
そして、もう一つ大事なことがあります。
選んだ対応が、必ずしも正解だったとは限りません。
後になって、
「あれは、もっと違う言い方があったな」
と思うこともある。
「ちょっと言いすぎたかな」
と思うこともある。
逆に、
「もう少し言ってもよかったな」
と思うこともある。
でも、
自分で考えて、自分なりに選んだ。
この感覚は、意外と大きいのです。
「相手に言われたから、仕方なくこうした」
「周りがそうするから、そうした」
ではなく、
「私は、この方法を選んだ」
と思える。
それだけで、自分の中に少し納得が残ります。
もちろん、対応のクオリティは別です(笑)。
完璧な対応なんて、そうそうできません。
でも、
「自分で選択した」
という事実は残る。
私は、そこを大切にしたいと思っています。
今回、気づいたこと
人の心を感じ取る。
そこから自分の感情が動く。
それ自体を、無理になくす必要はないのだと思います。
大切なのは、
感情に引き込まれたまま、行動まで決めないこと。
腹が立ってもいい。
悲しくてもいい。
がっかりしてもいい。
そのうえで、
「私は、どう対応する?」
と一度、自分に戻ってくる。
そして、自分なりの方法を選ぶ。
その基準の一つが、
「家に帰ってからの自分に、これを持ち込まない」
ということ。
考えてみれば、私にとって「家」は、単に帰宅する場所ではありません。
仕事が終わったあとに戻ってくる場所。
家族と過ごす場所。
そして、
自分の人生を過ごす場所です。
だったら、その人生を守るために、現場での対応を選んでもいい。
そう思うようになりました。
そして、ここまで考えてくると、もう一つの疑問が出てきます。
では、私は何を基準に「この対応を選ぼう」と決めているのだろう?
「自分が楽になれば、それでいい」というだけなのか。
それとも、そこにはもう少し別のものがあるのか。
最近の私は、そこを考えるようになりました。
そして、どうやらその先に、
「愛」
という、少し大げさにも聞こえる言葉が待っているようです(笑)。
次回は、そこについて考えてみます。
