こんにちは ヨハニです。 ※本ページはプロモーションを含みます。
今回は昔(戦国時代)の日本人で長生きした武将をご紹介させていただきます。
1 ご長寿戦国武将 3選
まず初めに名前と出身地をご紹介させていただきます。
①滝川 益氏 109歳
②木幡 高清 106歳
③石田 重家 104歳
生年月日は諸説ありの方が少数おられます。
とはいえ、ご長寿過ぎん!?と思われた方がほとんどではないでしょうか?
私は思いました。
戦国時代は栄養不足や衛生面、病気や飢饉など寿命を短くする要因は現代より多かったはずです。
ですので、はっきりとは分かっていませんが戦国時代の平均寿命は30代だったのではないかと言われています。
もちろん諸説あり。そして、武将や農民など職業によっても平均寿命は違ってくると思います。
にしても100歳まで生きるのは凄すぎますね!
2 滝川 益氏(たきがわ ますうじ)(1527年~1635年)
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将です。織田信長の家臣だった有名な滝川一益の従弟ともいわれています。晩年についてはよくわかっていないようですが、1583年の賤ヶ岳の戦いまでは滝川一益に従っていたようです。その後、当時敵として戦った豊臣秀吉に召し抱えられ1587年には九州にも出陣したようです。
その滝川一益は1586年に越前の国、大野で亡くなりました。享年62歳。そこから49年も滝川益氏は生きたことになります。謎の49年ですね。それに、なぜ亡くなった年がわかるのかがわかりません。
3 木幡 高清(こわた たかきよ)(1537年~1642年)
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将です。相馬氏の家臣です。相馬氏は現代の福島県辺りを支配していた大名です。故事に詳しく史書の編纂も行ったそうです。
ちなみに息子の木幡清吉も長生きで96歳まで生きていました。
4 石田 重家(いしだ しげいえ)(1584年~1686年)
なんと、あの有名な石田三成の嫡男です。私は今日まで、てっきり石田三成の血筋は関ヶ原合戦の一件で絶えてしまったと思っていました。それに長生き!!
石田重家は関ヶ原合戦後は出家して臨済宗の僧となられたそうです。齢12歳のことです。
ここで少し脱線しますが、なぜ石田三成の嫡男が生かされたのか?という事です。
関ヶ原合戦の首謀者である石田三成のようなポジションの一族は戦いに負けたら、だいたい生きてはいけないでしょう。特に嫡男ともなれば。生かされた理由は関ヶ原合戦時の石田重家の年齢がまだ10代前半と若かったというものです。今までと違うな、と。何か現代の私たちが知らない事があったのでしょうか?『本能寺の変』に次ぐ日本史の謎ですね。
5 いや!生年月日よ!?
さて、ここまで戦国時代のご長寿3人を見てきましたが一つ疑問が沸きました。
生まれた年も諸説あるようですが亡くなった年も“ホンマかな!?”という感じがあります。
というのも、晩年がよくわからないのに亡くなった年がわかるの!?と思いませんか?
謎です。
しかし、5年~10年の誤差を考えてもご長寿ですよね💦
6 まとめ
じつわ今回の記事でご長寿戦国武将をクローズアップして、その秘訣を解明していこうと考えていました。
しかし、しらべても“晩年は不明”だったり、そもそもあまり史実が出回っていなかったりで、実態が掴めませんでした。
ただ、今回の記事で分かった事は個人差はあれど条件が揃えば戦国時代でも長生きできる、という事です。
今後、戦国時代の健康法を調べていこうと考えています。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
