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読書は知識を得るためではなく、気分転換だったのかもしれない㊽

1 読書は“何かを得るため”だけではなかった

読書をしているとき、確かに知識は増えます。

知らなかった考え方に出会ったり、新しい視点を得たりすることもあります。

ただ、それ以上に感じることがあります。

それは「気持ちが少し落ち着く」という感覚です。

何かを学ぼうとしているというよりも、

本を開いている時間そのものが、少し安心できる時間になっているように感じることがあります。

2 情報を“受け取る側”に戻れる時間

日常生活では、自分で判断したり、考えたり、決めたりする場面が多くあります。

仕事でもそうですし、日々の小さな選択も含めると、頭を使っている時間は意外と多いものです。

そんな中で読書をしているときは、

自分で考えるというよりも、
一度「受け取る側」に戻っているような感覚があります。

誰かの考えをそのまま受け取る。

その時間は、少しだけ頭の負荷が軽くなるような感覚があります。

3 本の世界にいる間は“別の流れ”に入る

読書をしていると、現実の時間の流れとは少し違う感覚になることがあります。

仕事のことや日常の細かいことから、一時的に距離ができるような感覚です。

完全に忘れるわけではありませんが、

頭の中の優先順位が少し変わるような感じがあります。

この「別の流れに入る感覚」が、気分転換になっているのかもしれません。

4 読書は“休憩”に近いのかもしれない

これまで私は、運動や睡眠についても観察してきました。

それらと比べてみると、読書は少し性質が違うように感じます。

運動は体の回復。

睡眠は全体の回復。

それに対して読書は、

頭の中の切り替えや、気分のリセットに近いのかもしれません。

そう考えると、読書は知識を得る行為というよりも、「思考の休憩」に近いものなのかもしれません。

5 まとめ

今回あらためて考えてみて感じたのは、私は読書を通して知識だけでなく、気分の切り替えや落ち着きも得ていたということです。

もちろん学びとしての側面もあります。

しかしそれ以上に、読書の時間そのものが、自分にとっての小さな休憩になっていたのかもしれません。

そしてその積み重ねが、結果的に自分の回復につながっていた可能性もあると感じています。

まだはっきりとした答えはありませんが、これからも読書と自分との関係を観察しながら記録していきたいと思います。

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