ヨハニログ

大学時代、哲学や文学の中に「同じ気持ちの誰か」を探していた頃 52

1 歴史小説の次に向かったもの

前回書いたように、大学時代の私は歴史小説に強く惹かれていました。

その延長で、次第に哲学書や文学作品にも手を伸ばすようになっていきました。

今思えば、それは別のジャンルに移ったというより、同じ感覚の延長だったのかもしれません。

2 「同じ気持ちの人はいるのか」という問い

当時の自分の中には、うまく言葉にできない感覚がありました。

その感覚に対して、どこかでこう思っていたように思います。

同じような気持ちを持った人はいるのだろうか
それを乗り越えた人はいるのだろうか

現実の中では、その答えに出会うことができず、
本の中にそれを探していたのだと思います。

古今東西の思想や文学の中に、同じような感情の断片があるのではないか。

そんな感覚でした。

3 詩や文学に求めていたもの

詩であれば、自分の言葉にならない気持ちをそのまま表しているものがあるのではないか。

小説であれば、同じような悩みや迷いを抱えた人物がいるのではないか。

哲学書であれば、その問いに対して考え続けた人がいるのではないか。

そういったものを、無意識のうちに探していたように思います。

4 四国八十八か所への巡礼

その流れの中で、四国八十八か所巡礼について書かれた本を読み、実際に四国へ行ったこともありました。

そして、すべてではありませんが、7番札所まで巡ってみました。

昔から続いている宗教的な行事ですが、そこには「何かが変わる」と信じて歩いている人たちがいる。

その事実に触れて、自分も何か変わるのではないかと思っていた部分があったのかもしれません。

ただ、正直に言えば、その時点で劇的に何かが変わったわけではありませんでした。

5 変わらなかった経験から見えたもの

今こうして振り返ると、少し不思議な感覚があります。

当時の自分は、どこかで「本を読めば何かが変わるのではないか」と思っていたように感じます。

しかし同時に、実際にはかなり行動もしていました。

本を読むだけではなく、実際に現地に行き、歩き、体験していました。

そう考えると、あの頃の自分は内向きだったというよりも、むしろ外にも向かっていたのかもしれません。

6 今振り返って思うこと

今になって思うのは、あの時の自分は「答え」を求めていたというより、
同じような感覚を持っている誰かを探していたのかもしれないということです。

そしてその探し方として、本や文学や哲学を使っていたのだと思います。

歴史小説の時期と本質的には同じで、
「自分と同じようなものを抱えて生きている人間はいるのか」という問いだったのかもしれません。

7 まとめ

この時期の読書を振り返ると、ジャンルは変わっているようで、実は同じ方向を向いていたようにも感じます。

そしてもう一つ気づいたのは、
自分はただ本の世界に閉じていたわけではなく、実際には行動もしていたということです。

今思えば、それは不器用な形ではありながらも、かなり能動的な模索だったのかもしれません。

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