こんにちは ヨハニです。 ※本ページはプロモーションを含みます。
前回、私は若い頃から「これは自分の天職なのか?」と悩み続けていたことを書きました。
仕事で失敗すれば、「自分には向いていないのではないか」。
人間関係がうまくいかなければ、「もっと人と関わらない仕事の方がいいのではないか」。
そんなふうに、目の前の出来事を「自分の適性」の問題にしていたのです。
ところが、仕事を続けていくうちに、少しずつ目の前の仕事そのものに集中できるようになりました。
そして、いつの間にか「天職なのか?」と考えることも少なくなっていきました。
そんな私を、今度は別のものが強烈に仕事へ向かわせるようになります。
営業成績です。
私は営業の仕事をしてきました。
そして、ありがたいことに、営業成績はかなり良い方だったと思います。
若い頃の私は、そこに生きがいを感じていました。
極端に言えば、
そこだけが生きがいだったと言っても過言ではありません。
そして、私の中には、こんな格言がありました。
「数字が全てを癒してくれる。」
今考えると、なかなか危険な格言です(笑)。
でも当時の私にとっては、本当にそうだったのです。
第1章 数字が出れば、全部大丈夫だった
仕事で嫌なことがある。
人間関係でうまくいかない。
自分の能力に自信がなくなる。
そんなことがあっても、数字が出れば不思議と気持ちが戻ってきました。
「自分はやれる。」
「自分はこの仕事で結果を出せる。」
そう思える。
営業という仕事は、ある意味で分かりやすいところがあります。
頑張ったから必ず数字が出るわけではありません。
それでも、結果が数字として表れる。
そして、その数字によって評価される。
若い私には、その世界がとても分かりやすかったのだと思います。
人間関係のように、
「相手がどう思っているのか分からない」
という曖昧さも少ない。
数字が良ければ、少なくとも数字は嘘をつきません。
だから私は、数字を追いかけました。
数字が出れば、自信を取り戻せる。
数字が出れば、周りから評価される。
数字が出れば、「自分はここにいていい」と思える。
今思えば、かなり数字に依存していたのだと思います。
でも、それが悪いことだとは当時は思っていませんでした。
むしろ、
「結果を出すことこそ仕事だろう」
くらいに思っていたのです。
第2章 「自分が頑張ればいい」という世界
当時の私は、人との関係をほとんど考えていませんでした。
今振り返ると、
「大変な人だったな、自分(笑)」
と思います。
自分が頑張る。
自分が結果を出す。
自分が数字を作る。
それでいいと思っていた。
周りの人がどう感じているのか。
自分の働き方が周りにどう影響しているのか。
そういうことを、ほとんど意識していませんでした。
もちろん、人に迷惑をかけようと思っていたわけではありません。
ただ、そこに意識が向いていなかったのです。
私の関心は、
「どうすれば結果を出せるか」
に集中していました。
そして、実際に結果を出すことができた。
だから、その方法を疑う必要もありませんでした。
むしろ、
「これでいいじゃないか」
と思っていたのだと思います。
今思えば、これは私にとって非常に都合の良い世界でした。
人間関係について深く考えなくてもいい。
自分自身について深く考えなくてもいい。
数字を追いかけて、数字を出せばいい。
そして数字が出れば、
「ほら、自分は大丈夫だ」
と確認できる。
私は、そんなふうにして仕事をしていたのだと思います。
第3章 分かっていたけれど、あえて考えなかった
ただし、今だから正直に書けることがあります。
私は、その働き方に危うさがあることを、全く気づいていなかったわけではありません。
薄々、分かっていました。
数字が出なくなったら、自分はどうなるのだろう。
数字以外の部分で、自分には何が残るのだろう。
そんな不安が、どこかにあった。
それでも私は、前に進みました。
なぜなら、若かったからです。
勢いがありました。
そして、実際に結果も出ていました。
だから、
「今は考えなくてもいい」
と、自分で選んでいた部分があったのだと思います。
言ってしまえば、
思考停止を選んでいた。
爆弾を抱えたまま、人生を進んでいたようなものです。
でも、その爆弾はすぐには爆発しませんでした。
むしろ、数字を出せば出すほど、私は「これでいい」と思えました。
仕事で悩んだら、もっと頑張る。
数字が悪ければ、もっと頑張る。
評価されなければ、もっと結果を出す。
そうしているうちに、悩みそのものを考える時間がなくなっていく。
それは、ある意味ではとても便利でした。
第4章 「数字が全てを癒してくれる」という格言の裏側
若い頃の私にとって、数字は確かに私を救ってくれました。
自分に自信を与えてくれました。
仕事を続ける力にもなりました。
だから、今になって、
「数字を追いかけたことは間違いだった」
とは思いません。
むしろ、あの時代があったからこそ、今の自分があります。
営業としての経験も積めました。
仕事に対する自信もつきました。
そして、
「やれば、できる」
という感覚も身につきました。
これは今の私にとって、かなり大きな財産です。
ただ、どんなものにも表と裏があります。
数字が自分を救ってくれるということは、
裏を返せば、
数字が自分を苦しめることもある
ということです。
数字が良ければ、自分を肯定できる。
では、数字が悪ければ?
「今回は悪かっただけ」
と切り離せればいい。
でも若い頃は、そう簡単ではありません。
数字が悪い。
↓
自分の能力が足りない。
↓
自分は仕事ができない。
↓
自分には価値がないのではないか。
そんなところまで、簡単につながってしまう。
だから私は、数字を追い続けました。
数字が自分を癒してくれるから。
そして、数字が自分を傷つける存在にもなり得ることを、どこかで知っていたからです。
それでも、若さと勢いが、その不安を吹き飛ばしてくれていました。
まとめ あの頃の私には、数字が必要だった
今振り返ると、若い頃の私は、
「数字が全てを癒してくれる」
という言葉を本気で信じていたのだと思います。
そして、実際に数字は私を何度も救ってくれました。
だから、その考え方を単純に否定することはできません。
あの頃の私には、必要だったのです。
自分に自信を持つために。
仕事を続けるために。
前に進むために。
だからこそ、私はかなりの勢いで仕事をしてきました。
でも、その勢いには代償もありました。
数字を出し続けることで、自分の中にある問題を見ないまま進むことができてしまったのです。
「自分は何を求めているのか?」
「仕事を通して、何を得たいのか?」
「人とどう関わりたいのか?」
そんなことを、深く考えずに済んでしまった。
それでも人生は進んでいきました。
そして、40代になった頃。
私は、それまでとは少し違う感覚を持つようになります。
これまであれほど自分を奮い立たせてくれたもの。
あれほど魅力的に見えていたもの。
それが、以前ほど魅力的に感じられなくなってきたのです。
数字を出しても、以前ほど心が動かない。
これは私にとって、かなり大きな変化でした。
「じゃあ、私は何を求めて仕事をしているのだろう?」
そこで初めて、私は自分の仕事をもう一度、ゆっくりと見つめ直すことになりました。
次回は、「数字だけでは満たされなくなった私」が、仕事に何を求めるようになったのかを書いてみたいと思います。

