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最近、取り繕い方を見直そうと思った話②~私にとって“取り繕う”とは何だったのか?122

1 辞書の意味とは少し違った

「取り繕う」という言葉を改めて調べてみると、

「その場をうまく収めたり、体裁を整えたりすること」

という意味がありました。

私は、それを見て少し驚きました。

というのも、私が使っていた「取り繕う」は、少し意味が違っていたからです。

私にとっての「取り繕う」とは、

「他人から評価される理想の自分を目指そうとすること」

でした。

もちろん、それが辞書の意味と大きく外れているとは思いません。

ただ、私の中では「その場を取り繕う」というより、「生き方そのもの」を表す言葉になっていたようです。

2 理想を目指すことは悪いことではない

誤解のないように書いておきたいことがあります。

私は、理想を持つことが悪いとは思っていません。

むしろ、「こんな人になりたい」と思う気持ちは、人を成長させる力になると思います。

私自身も、その理想を目指して努力してきました。

また、その考え方によって、自分を律することができた場面も数多くありました。

だから私は、過去の自分を否定したいわけではありません。

ただ最近、その理想は本当に自分が心から望んだものだったのだろうか、と考えるようになりました。

3 問題が起きるたびに考えていたこと

何か問題や課題に直面した時、以前の私はこんなことを考えていました。

「どうすれば評価されるだろう。」

「どうするのが正しいのだろう。」

「理想の人なら、どう行動するだろう。」

一方で、

「私は本当はどうしたいのだろう。」

という問いは、あまり自分に投げかけていなかったように思います。

そのことに気づいた時、自分でも少し驚きました。

無意識のうちに、他人から見た理想を基準に物事を考える癖が身についていたのかもしれません。

4 今、見直したいと思っていること

今の私は、「取り繕うこと」をやめたいとは思っていません。

社会の中で生きる以上、相手への配慮や、その場に応じた振る舞いは必要です。

ただ、問題や課題に向き合う時の基準を、少し変えてみたいと思うようになりました。

「評価されるためにはどうするか。」

ではなく、

「私はどうありたいのか。」

「どんな生き方なら、自分らしく力を発揮できるのか。」

そんな問いを、自分に投げかけてみたいと思っています。

まだ答えはありません。

でも、その問いを持つこと自体に意味があるような気がしています。

まとめ

今回、「取り繕う」という言葉について改めて考えてみました。

すると、私にとっての「取り繕う」は、単に体裁を整えることではありませんでした。

それは、「他人から評価される理想」を基準に、自分を形づくろうとする生き方だったのかもしれません。

もちろん、その生き方が間違っていたとは思っていません。

ただ40代になった今、その基準を少し見直してみたい。

そんなことを考えるようになりました。

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