こんにちは、ヨハニです。
※本ページはプロモーションを含みます。
今回から、新しいシリーズを書いてみたいと思います。
テーマは、
「最近、取り繕い方を見直そうと思った話」
です。
このシリーズは、「取り繕うことは良い」「取り繕うことは悪い」と結論を出すものではありません。
最近、自分自身と向き合う中で、「私は今まで、どのように物事と向き合ってきたのだろう」と考えるようになりました。
その過程で気づいたことを、少しずつ整理していきたいと思います。
1 ウォーキングで生まれた一つの気づき
ある休日の朝、約90分ほどウォーキングをしていました。
歩いていると、不思議と頭の中が整理されていきます。
その時、ふと浮かんだ言葉がありました。
「私は取り繕う癖があるのではないか。」
最初は漠然とした違和感でした。
しかし、歩き続けるうちに、その違和感は少しずつ言葉になっていきました。
「もしかすると、精神的に疲れている時ほど、私は取り繕おうとしていたのではないか。」
そして、その積み重ねが、自分の進みたい方向を少し見えにくくしていたのかもしれない。
そんなことを考えるようになりました。
2 私にとっての「取り繕う」とは
「取り繕う」という言葉には、一般的な意味があります。
しかし、今回私が考えた「取り繕う」は、少し意味が違います。
私にとっての取り繕うとは、
「他人から評価される理想の自分を目指そうとすること」
でした。
何か問題や課題に直面した時、
「私はどうしたいのか」
ではなく、
「どうすれば評価されるだろう。」
「どう考えるのが正しいのだろう。」
そんなことを無意識に考えていたように思います。
もちろん、その考え方に助けられた場面もたくさんありました。
また、そう考えることによって自分を矯正できていた部分もあったと思います。
だから私は、取り繕うこと自体を否定したいわけではありません。
ただ、最近になって、その向き合い方を少し見直してみたいと思うようになったのです。
3 理想を見直す時期なのかもしれない
以前の私は、「今の自分」と「理想の自分」の差は、努力によって埋められると考えていました。
努力することは、今でも大切だと思っています。
しかし最近、その理想そのものを見直してもいいのではないか、と考えるようになりました。
その理想は、本当に自分が望んだものだったのだろうか。
それとも、「こうあるべき」「こう評価されたい」という思いから作られた理想だったのだろうか。
また、一つ気づいたことがあります。
その理想へたどり着くまでの道のりが、どうしても想像できなかったのです。
まだ答えは出ていません。
だからこそ、これから少しずつ考えてみたいと思っています。
4 見直したいのは「取り繕うこと」ではなく「取り繕い方」
今回のシリーズを書こうと思った理由は、ここにあります。
私は今、「取り繕うこと」をやめたいと思っているわけではありません。
人は社会の中で生きています。
相手を思いやったり、その場に合わせたりすることは、これからも必要でしょう。
ただ、
「評価されるための理想」を基準にするのではなく、
「自分が心地よく生きられて、自然に力を発揮できる理想」を基準にしたい。
そんなふうに考えるようになりました。
もしかすると、それが私にとっての「取り繕い方を見直す」ということなのかもしれません。
まとめ
今回から、新しいシリーズが始まりました。
まだ答えはありません。
むしろ、答えを探す途中にいます。
だからこそ、このシリーズでは結論を急がず、その時々で感じたことを、そのまま書いていこうと思います。
もし読んでくださる皆さんも、「自分はどうだろう」と考えるきっかけになれば、とても嬉しく思います。

