こんにちは、ヨハニです。
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前回は、40代になってから「愛」という言葉が気になり始めたことについて書きました。
今回は、その続きを書いてみたいと思います。
私は最近、「もしかすると、自分は『愛する』ということをあまり理解していなかったのかもしれない」と思うようになりました。
1 私は『愛』を深く考えたことがなかった
振り返ってみると、私は「愛」という言葉を、どこか漠然としたものとして捉えていました。
家族を大切に思うこと。
誰かを好きになること。
人に優しくすること。
もちろん、それらも愛の一つなのだと思います。
しかし、「愛するとは何か」と改めて問われると、うまく答えることができません。
若い頃の私は、そんなことを深く考えずに生きてきたように思います。
2 私は結果ばかりを見ていたのかもしれない
私はこれまで、努力することや責任を果たすことを大切にしてきました。
仕事でも、家庭でも、「きちんとやること」を意識してきたつもりです。
けれど最近になって、あることに気づきました。
私は「何をしたか」や「どんな結果になったか」を重視する一方で、
「どのような思いで向き合ったのか」
ということを、あまり見てこなかったのではないか。
そんな気がしているのです。
同じ行動であっても、その根底にあるものによって、まったく違うものになるのかもしれません。
3 『愛する』ということは、思っていたよりも深い
だからこそ、私は今、「愛」という言葉の前で立ち止まっています。
人を大切に思うこと。
家族のために働くこと。
誰かを支えたいと思うこと。
それらを私は、なんとなく「愛」だと思っていました。
しかし、本当にそうなのだろうか。
そもそも『愛する』とは、どういうことなのだろうか。
考えれば考えるほど、その言葉の深さに驚かされます。
4 自分には愛が足りないのではないかと思った
そして、そんなことを考えているうちに、一つの思いが生まれました。
私は、本当に愛を持って生きてきたのだろうか。
正直なところ、自信はありません。
むしろ、私には愛がない、もしくは少ないのではないか。
そんなことさえ思うようになりました。
もちろん、家族を大切に思っています。
人に親切でありたいとも思っています。
それでも、「愛する」ということを十分に理解しているかと言われれば、首を横に振るしかありません。
5 まとめ
最近の私は、「愛」について答えを持っている人間ではありません。
むしろ、何も分かっていないことに気づき始めた人間なのだと思います。
でも、それでいいのかもしれません。
大切なのは、「分かったつもり」になることではなく、
「自分はまだよく分かっていない」と認めることなのではないでしょうか。
だから私は、これから少しずつ『愛する』ということについて学んでいきたいと思っています。
もしかすると、その先に、今まで見えていなかった人生の景色があるのかもしれません。

