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違いと優劣を、同じに考えていたのかもしれない②~違いと優劣は、本当に同じものなのだろうか~182

1 違いがあることは、ごく自然なこと

私たちの周りには、たくさんの違いがあります。

背が高い人もいれば、低い人もいます。

話すのが得意な人もいれば、聞くのが得意な人もいます。

朝に力を発揮する人もいれば、夜の方が集中できる人もいます。

自然の世界を見ても同じです。

山には山の良さがあり、海には海の良さがあります。

春には春の美しさがあり、秋には秋の味わいがあります。

違いは、世界を豊かにしているものなのかもしれません。

2 優劣は、誰が決めているのだろう

では、「優劣」はどうでしょう。

たとえば、足が速いことは優れているのでしょうか。

ある場面では、大きな強みになります。

しかし、誰かの話を最後まで丁寧に聞ける力も、同じくらい大切な場面があります。

体力がある人もいれば、細かな変化によく気づく人もいます。

そのどちらが「上」なのでしょう。

考えてみると、優劣は絶対的なものではなく、その時代や環境、その場面によって変わるものなのかもしれません。

3 私は「違い」を「優劣」に変えていた

振り返ると、私は誰かの得意なことを見るたびに、

「自分は足りない」

と思っていました。

でも、相手が持っているものと、自分が持っているものは、本来は「違い」だったのではないでしょうか。

それを私は、無意識のうちに「優劣」という物差しで測っていたのです。

違いは、その人らしさ。

優劣は、私の心が後からつくっていた解釈。

そう考えると、少し肩の力が抜けるような気がしました。

4 見る世界が少し変わり始めた

「違い」と「優劣」は、同じではない。

そう考えるようになると、人を見る目が少し変わりました。

以前なら羨ましく感じていた人の長所も、

「この人には、この人の良さがある。」

と思える瞬間が増えてきました。

もちろん、まだ完全ではありません。

それでも、「比べること」ではなく、「違いを知ること」に意識が向くようになると、心は以前より穏やかになっていったように感じます。

まとめ

違いがあることは、ごく自然なことです。

そして、その違いがあるからこそ、人は支え合い、学び合うことができます。

もしかすると、「優劣」は違いそのものではなく、私たちが後からつけた意味なのかもしれません。

次回は、「優劣」という物差しで世界を見ると、なぜ心が苦しくなってしまうのかについて、考えてみたいと思います。

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