こんにちは、ヨハニです。
前回は、私たちは「違い」に直面すると、いつの間にか順位をつけ始めているのではないか、というお話をしました。
そして、ふと疑問が浮かびました。
「違い」と「優劣」は、本当に同じものなのだろうか。
今回は、その問いについて、もう少し考えてみたいと思います。
1 違いがあることは、ごく自然なこと
私たちの周りには、たくさんの違いがあります。
背が高い人もいれば、低い人もいます。
話すのが得意な人もいれば、聞くのが得意な人もいます。
朝に力を発揮する人もいれば、夜の方が集中できる人もいます。
自然の世界を見ても同じです。
山には山の良さがあり、海には海の良さがあります。
春には春の美しさがあり、秋には秋の味わいがあります。
違いは、世界を豊かにしているものなのかもしれません。
2 優劣は、誰が決めているのだろう
では、「優劣」はどうでしょう。
たとえば、足が速いことは優れているのでしょうか。
ある場面では、大きな強みになります。
しかし、誰かの話を最後まで丁寧に聞ける力も、同じくらい大切な場面があります。
体力がある人もいれば、細かな変化によく気づく人もいます。
そのどちらが「上」なのでしょう。
考えてみると、優劣は絶対的なものではなく、その時代や環境、その場面によって変わるものなのかもしれません。
3 私は「違い」を「優劣」に変えていた
振り返ると、私は誰かの得意なことを見るたびに、
「自分は足りない」
と思っていました。
でも、相手が持っているものと、自分が持っているものは、本来は「違い」だったのではないでしょうか。
それを私は、無意識のうちに「優劣」という物差しで測っていたのです。
違いは、その人らしさ。
優劣は、私の心が後からつくっていた解釈。
そう考えると、少し肩の力が抜けるような気がしました。
4 見る世界が少し変わり始めた
「違い」と「優劣」は、同じではない。
そう考えるようになると、人を見る目が少し変わりました。
以前なら羨ましく感じていた人の長所も、
「この人には、この人の良さがある。」
と思える瞬間が増えてきました。
もちろん、まだ完全ではありません。
それでも、「比べること」ではなく、「違いを知ること」に意識が向くようになると、心は以前より穏やかになっていったように感じます。
まとめ
違いがあることは、ごく自然なことです。
そして、その違いがあるからこそ、人は支え合い、学び合うことができます。
もしかすると、「優劣」は違いそのものではなく、私たちが後からつけた意味なのかもしれません。
次回は、「優劣」という物差しで世界を見ると、なぜ心が苦しくなってしまうのかについて、考えてみたいと思います。

