こんにちは、ヨハニです。
私たちは毎日のように「違い」に直面しています。
背の高さ、足の速さ、成績、収入、仕事、人間関係、性格。
人生は違いで溢れています。
でも、最近ふと思ったことがあります。
もしかすると苦しかったのは、その「違い」ではなく、「違い」をどう受け止めていたかだったのではないか、と。
今回は、「違い」と「優劣」について考えてみたいと思います。
1 違いに気づくことは自然なこと
人は違いを見つける力を持っています。
赤と青の違い。
暑い日と寒い日の違い。
危険なものと安全なものの違い。
この力があったからこそ、人類は環境に適応し、生き延びてきたのでしょう。
つまり、違いに気づくこと自体は、ごく自然な能力なのだと思います。
問題は、その先にありました。
2 いつの間にか順位をつけていた
違いに気づいた瞬間から、私たちの心は静かに動き始めます。
「あの人の方が頭がいい。」
「私は運動が苦手だ。」
「あの人の方が評価されている。」
気づけば、違いは順位へと変わっていました。
違うことを認識しただけだったはずなのに、いつの間にか「上」「下」という世界に入り込んでいたのです。
私は長い間、それが当たり前のことだと思っていました。
3 本当に同じものなのだろうか
ある日、こんな疑問が浮かびました。
「違い」と「優劣」は、本当に同じものなのだろうか。
花には様々な色があります。
春には春の美しさがあり、秋には秋の魅力があります。
犬と猫も違います。
でも、私たちはそこに優劣をつけません。
それなのに、人間の違いだけは、どうしてすぐに順位へと変えてしまうのでしょう。
その問いは、私の中に静かに残り続けました。
4 苦しかった理由が少し見えてきた
私はこれまで、誰かと比べて落ち込むこともあれば、自分が少し認められると安心することもありました。
でも、その安心は長く続きませんでした。
また誰かと比べてしまうからです。
もし苦しみの原因が「違い」ではなく、「違いを優劣として見てしまう心の習慣」にあるのだとしたら。
人生の見え方は、大きく変わるのかもしれません。
まとめ
私たちは違いに直面すると、無意識のうちに順位をつけ始めます。
しかし、それは本当に自然なことなのでしょうか。
もしかすると私は、「違い」と「優劣」を同じものとして考えていただけなのかもしれません。
次回は、「違い」と「優劣」は本当に同じものなのか、もう少し深く考えてみたいと思います。

