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違いと優劣を、同じに考えていたのかもしれない①~違いに直面した時、私たちは順位をつけ始める~181

1 違いに気づくことは自然なこと

人は違いを見つける力を持っています。

赤と青の違い。

暑い日と寒い日の違い。

危険なものと安全なものの違い。

この力があったからこそ、人類は環境に適応し、生き延びてきたのでしょう。

つまり、違いに気づくこと自体は、ごく自然な能力なのだと思います。

問題は、その先にありました。

2 いつの間にか順位をつけていた

違いに気づいた瞬間から、私たちの心は静かに動き始めます。

「あの人の方が頭がいい。」

「私は運動が苦手だ。」

「あの人の方が評価されている。」

気づけば、違いは順位へと変わっていました。

違うことを認識しただけだったはずなのに、いつの間にか「上」「下」という世界に入り込んでいたのです。

私は長い間、それが当たり前のことだと思っていました。

3 本当に同じものなのだろうか

ある日、こんな疑問が浮かびました。

「違い」と「優劣」は、本当に同じものなのだろうか。

花には様々な色があります。

春には春の美しさがあり、秋には秋の魅力があります。

犬と猫も違います。

でも、私たちはそこに優劣をつけません。

それなのに、人間の違いだけは、どうしてすぐに順位へと変えてしまうのでしょう。

その問いは、私の中に静かに残り続けました。

4 苦しかった理由が少し見えてきた

私はこれまで、誰かと比べて落ち込むこともあれば、自分が少し認められると安心することもありました。

でも、その安心は長く続きませんでした。

また誰かと比べてしまうからです。

もし苦しみの原因が「違い」ではなく、「違いを優劣として見てしまう心の習慣」にあるのだとしたら。

人生の見え方は、大きく変わるのかもしれません。

まとめ

私たちは違いに直面すると、無意識のうちに順位をつけ始めます。

しかし、それは本当に自然なことなのでしょうか。

もしかすると私は、「違い」と「優劣」を同じものとして考えていただけなのかもしれません。

次回は、「違い」と「優劣」は本当に同じものなのか、もう少し深く考えてみたいと思います。

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