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違いと優劣を、同じに考えていたのかもしれない③~優劣という物差しは、心を休ませてくれなかった~183

1 優劣で見る世界には、終わりがない

優劣という物差しで世界を見るようになると、比較は終わりません。

仕事では、もっと成果を出している人がいます。

収入では、もっと稼いでいる人がいます。

知識でも、経験でも、体力でも、必ず自分より優れて見える人がいます。

逆に、自分より苦労している人や、経験の少ない人を見ることもあります。

つまり、比較の世界には、いつも「上」と「下」が存在します。

だから安心は長続きしません。

昨日安心できたことも、今日は誰かとの比較で揺らいでしまいます。

2 優越感と劣等感は、同じ場所から生まれる

以前の私は、劣等感ばかりが苦しみの原因だと思っていました。

でも、少し見方が変わりました。

優越感も劣等感も、どちらも「優劣」という同じ物差しから生まれています。

「自分の方が上だ」と感じる安心は、誰かに追い越されれば簡単に崩れてしまいます。

だから、優越感に支えられた自信は、とても不安定です。

結局、優劣の世界にいる限り、心はいつも順位を気にしてしまうのかもしれません。

3 比べていたのは、相手ではなく自分だった

不思議なことに気づきました。

私は誰かを見ているようで、本当は自分ばかり見ていました。

「あの人はすごい。」

その瞬間に考えていたのは、

「それに比べて私は……」

ということでした。

相手を見ているようで、自分の価値を測る材料にしていただけだったのです。

そう思うと、比較とは相手との勝負ではなく、自分の心の中で起きていた出来事だったのだと感じました。

4 心が求めていたのは、勝つことではなかった

もし、心が本当に求めていたものが「一番になること」だったなら、どこかで満たされていたはずです。

でも、実際にはそうではありませんでした。

一つの目標を達成しても、また次の比較が始まる。

認められても、もっと認められたいと思ってしまう。

私が求めていたのは、勝ち続けることではなく、安心して自分でいられることだったのかもしれません。

そのことに気づいたとき、優劣という物差しを少し手放してみたいと思うようになりました。

まとめ

優劣という物差しは、自分の価値を測るには便利なのかもしれません。

でも、その物差しで生きている限り、比較は終わりません。

上を見ても、下を見ても、心は落ち着かないのです。

もしかすると、私たちが求めていたのは「誰かより上になること」ではなく、違いを違いとして受け入れ、自分らしく生きることだったのかもしれません。

次回は、違いを受け入れられるようになると、人との関わり方はどのように変わっていくのか、一緒に考えてみたいと思います。

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