ヨハニログ

違いと優劣を、同じに考えていたのかもしれない④~違いを受け入れると、人を素直に称賛できるようになった~184

1 人の良さが、眩しさではなくなった

以前は、誰かの長所を見るたびに、心が少し苦しくなっていました。

仕事ができる人。

話し上手な人。

行動力のある人。

その人の素晴らしさを見るより先に、「自分にはないものだ」と考えてしまっていたのです。

でも、「違い」と「優劣」は同じではないのかもしれないと思うようになってから、その見え方が少しずつ変わりました。

相手の良さは、私の価値を減らすものではありません。

その人らしさとして、見ることができるようになってきたのです。

2 称賛することは、自分を否定することではなかった

誰かを褒めることに、どこか抵抗があった時期がありました。

心のどこかで、

「相手を認めることは、自分が負けること。」

そんな感覚があったのかもしれません。

でも、それは優劣という物差しで考えていたからでした。

違いとして見るなら、

誰かを称賛することと、自分を大切にすることは両立できます。

むしろ、人の素晴らしさを素直に喜べることは、自分自身の心にも余裕が生まれてきた証なのかもしれません。

3 自分にも、自分だけの役割がある

誰かのようになれなくてもいい。

そう思えるようになったとき、不思議と肩の力が抜けました。

私は私の人生を歩んでいます。

相手は相手の人生を歩んでいます。

歩く道が違えば、身につくものも違います。

得意なことも、苦手なことも違って当然です。

もし皆が同じだったなら、助け合うことも、学び合うことも難しかったでしょう。

違いは、不足ではなく、それぞれが持つ個性なのだと思うようになりました。

4 違いは、人を遠ざけるものではなかった

以前の私は、違いがあるほど距離を感じていました。

「あの人とは違う。」

その言葉の裏には、「分かり合えない」という思い込みがあったのかもしれません。

でも今は、少し違う景色が見えています。

違うからこそ教えてもらえることがあります。

違うからこそ支え合えることがあります。

違うからこそ、自分にはない視点に出会うことができます。

違いは、人と人を分ける壁ではなく、お互いを豊かにしてくれる贈り物なのかもしれません。

まとめ

違いを優劣として見ていた頃は、人の良さに苦しさを感じることがありました。

でも、違いを違いとして受け入れられるようになると、人の良さを素直に喜べる瞬間が増えてきました。

誰かを称賛することは、自分を否定することではありません。

それは、「人には人の良さがあり、私には私の良さがある」と認めることなのだと思います。

次回はいよいよ最終話です。

「違いを受け入れることは、自分を受け入れることだった。」

そんな視点から、このシリーズを締めくくりたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です