こんにちは、ヨハニです。
前回は、「優劣」という物差しで世界を見ると、比較に終わりがなくなってしまう、というお話をしました。
では、その物差しを少し手放すことができたら、世界はどのように見えるのでしょうか。
私は少しずつですが、人との関わり方が変わってきたように感じています。
1 人の良さが、眩しさではなくなった
以前は、誰かの長所を見るたびに、心が少し苦しくなっていました。
仕事ができる人。
話し上手な人。
行動力のある人。
その人の素晴らしさを見るより先に、「自分にはないものだ」と考えてしまっていたのです。
でも、「違い」と「優劣」は同じではないのかもしれないと思うようになってから、その見え方が少しずつ変わりました。
相手の良さは、私の価値を減らすものではありません。
その人らしさとして、見ることができるようになってきたのです。
2 称賛することは、自分を否定することではなかった
誰かを褒めることに、どこか抵抗があった時期がありました。
心のどこかで、
「相手を認めることは、自分が負けること。」
そんな感覚があったのかもしれません。
でも、それは優劣という物差しで考えていたからでした。
違いとして見るなら、
誰かを称賛することと、自分を大切にすることは両立できます。
むしろ、人の素晴らしさを素直に喜べることは、自分自身の心にも余裕が生まれてきた証なのかもしれません。
3 自分にも、自分だけの役割がある
誰かのようになれなくてもいい。
そう思えるようになったとき、不思議と肩の力が抜けました。
私は私の人生を歩んでいます。
相手は相手の人生を歩んでいます。
歩く道が違えば、身につくものも違います。
得意なことも、苦手なことも違って当然です。
もし皆が同じだったなら、助け合うことも、学び合うことも難しかったでしょう。
違いは、不足ではなく、それぞれが持つ個性なのだと思うようになりました。
4 違いは、人を遠ざけるものではなかった
以前の私は、違いがあるほど距離を感じていました。
「あの人とは違う。」
その言葉の裏には、「分かり合えない」という思い込みがあったのかもしれません。
でも今は、少し違う景色が見えています。
違うからこそ教えてもらえることがあります。
違うからこそ支え合えることがあります。
違うからこそ、自分にはない視点に出会うことができます。
違いは、人と人を分ける壁ではなく、お互いを豊かにしてくれる贈り物なのかもしれません。
まとめ
違いを優劣として見ていた頃は、人の良さに苦しさを感じることがありました。
でも、違いを違いとして受け入れられるようになると、人の良さを素直に喜べる瞬間が増えてきました。
誰かを称賛することは、自分を否定することではありません。
それは、「人には人の良さがあり、私には私の良さがある」と認めることなのだと思います。
次回はいよいよ最終話です。
「違いを受け入れることは、自分を受け入れることだった。」
そんな視点から、このシリーズを締めくくりたいと思います。
