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刺激を求める習慣は、不安も連れてきていたのかもしれない②~安心は、退屈ではなく心が健康になった証なのかもしれない~172

1 以前は、穏やかな時間が物足りなかった

以前の私は、何事もなく一日が終わると、どこか物足りなさを感じていました。

大きな出来事がない。

心が大きく揺さぶられることもない。

そんな一日は、どこか味気なく感じられたのです。

だから無意識のうちに、新しい情報を探したり、先の心配をしたりして、自分で心を忙しくしていたように思います。

2 安心とは、心が休めている状態

最近は、その感覚が少し変わってきました。

何も起こらない日を、「平和な一日だった」と思えるようになったのです。

以前なら退屈だと感じていた静かな時間が、今では心地よく感じられます。

安心とは、刺激が足りない状態ではありません。

心が余計な緊張を手放し、自然体でいられる状態なのだと思います。

3 健康な心は、静けさを受け入れられる

考えてみると、体も同じではないでしょうか。

熱が下がれば、「何も起こらない体」に戻ります。

痛みがなくなれば、それが健康な状態です。

心も同じで、本来は静かな状態が自然なのかもしれません。

それなのに私は、心が静かなことを「退屈」と勘違いしていました。

今は、その静けさこそが心の健康なのだと感じています。

4 人生は、刺激よりも穏やかさの積み重ね

もちろん、人生には挑戦も必要です。

新しい経験は、人を成長させてくれます。

しかし、毎日が刺激で満たされている必要はありません。

家族と食事をすること。

仕事を無事に終えること。

ゆっくりお茶を飲むこと。

そんな何気ない時間が続くこと自体、とても豊かなことなのだと思います。

以前は見逃していた日常の価値に、少しずつ気づけるようになりました。

まとめ

私は以前、安心している状態を退屈だと思っていました。

しかし今は、その考え方が少し変わりました。

安心とは、刺激が足りない状態ではありません。

心が健康になり、本来の落ち着きを取り戻している状態なのかもしれません。

毎日を劇的に変える出来事がなくてもいい。

穏やかな一日を穏やかなまま終えられることは、とても幸せなことです。

次回は、「刺激を追いかけるより、日常を味わう生き方」というテーマで、日々の暮らしの見え方がどのように変わってきたのかを書いてみたいと思います。

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