こんにちは、ヨハニです。
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「優しさって、いったい何なんだろう?」
そんな疑問から、このシリーズを書き始めました。
正直に言えば、昔の私は「優しさ」がよく分かりませんでした。
自分には無理だと思っていた。
自分のことで精一杯なのに、人のことまで考えられない。
自分を差し置いて人に譲ることを、少し美化しすぎではないかと思っていた。
それでも、「自分には優しさがない」という劣等感はありました。
でも、今になって思います。
あの頃の私は、優しくなかったというより、
「優しさを理解するための材料が、まだ少なかった」のではないか。
人生を生きる中で、その材料が少しずつ増えてきた。
今回は、そのことを最後に整理してみたいと思います。
第1章 優しさは、「自分を犠牲にすること」ではなかった
昔の私は、優しさというものを少し極端に捉えていたのだと思います。
自分より人を優先する。
自分が我慢する。
困っている人を助ける。
嫌なことがあっても許す。
そんなイメージです。
だから、
「そんなことをしていたら、自分がもたないだろう」
と思っていました。
でも、今は違います。
自分を犠牲にし続けることが、本当に優しさなのだろうか。
私は、そうは思いません。
自分が嫌なことを嫌だと思う。
傷ついたら傷ついたと認める。
怒ったら、なぜ怒ったのかを考える。
疲れたら、距離を取る。
自分の感情をちゃんと扱う。
それもまた、優しさの始まりなのではないでしょうか。
なぜなら、
自分自身もまた、自分が大切にすべき一人の人間だからです。
第2章 自分を助けることが、人を考える力になる
自分の感情を扱えるようになると、少しずつ変化が起きました。
自分が何に傷つくのか。
何をされると嫌なのか。
何をされると嬉しいのか。
何が不安なのか。
何を大切にしたいのか。
そういうことが、少しずつ分かってくる。
すると、不思議なことに、他人のことも考えられるようになりました。
「この人も、何か嫌だったのかもしれない」
「この言葉は、この人にとってはきつかったのかもしれない」
「もしかすると、自分と同じように、この人にも感情があるのだろう」
そんなふうに考えられるようになる。
私はここに、大きなつながりがあると思っています。
自分の感情を大切に扱うことと、他人の感情を大切に扱うことは、別々のものではない。
むしろ、自分自身の感情を理解することが、他人の感情を想像するための土台になる。
昔の私には、その土台が十分になかった。
だから、優しさが分からなかった。
今なら、そんなふうに考えることができます。
第3章 優しさとは、「考えてから行動すること」なのかもしれない
ここまで振り返ってみると、私の中で一つの共通点が見えてきます。
それは、
「すぐに反応しない」
ということです。
感情が動いたら、時間を置く。
相手の行動を見たら、表面だけで判断しない。
自分の感情を見る。
相手の感情を想像する。
状況全体を見る。
そして、自分はどうしたいのかを考える。
その上で、行動する。
考えてから行動する。
私は、これが優しさの一つの形なのではないかと思っています。
もちろん、すべての場面で完璧にできるわけではありません。
今でも感情的になることはあります。
人に引っ張られることもあります。
「なんでそんなことするんだ」と思うこともあります(笑)。
でも、以前と違うのは、
その感情を、そのまま行動にしなくてもいい
と分かっていることです。
感情は感じていい。
でも、行動は選べる。
その間に「時間」と「考える」という工程を入れる。
それだけで、自分も相手も、必要以上に傷つけずに済むことがあります。
第4章 優しさは、いつの間にか身についていた
今回、私が一番面白いと思っているのはここです。
私は、優しい人になろうとしてきたわけではありません。
「優しさを身につけよう」
と思って、人間関係を勉強してきたわけでもありません。
ただ、自分が生きやすくなるように考えてきた。
人間関係で必要以上に疲れないようにしたかった。
自分の感情に振り回されたくなかった。
相手のことを正しく見たかった。
自分の考えも大切にしたかった。
だから、
時間を置くようになった。
距離を取るようになった。
相手の行動を表面だけで判断しなくなった。
自分の感情を考えるようになった。
自分の考えを、相手のことも考えながら表現するようになった。
そうやって生きてきただけです。
ところが、振り返ってみると、
それらの一つ一つが「優しさ」と呼ばれているものに近づいていた。
これが、今回のシリーズを書いていて、一番大きな発見でした。
優しさを目指したわけではない。
でも、生き方を整えていったら、いつの間にか優しさに近づいていた。
だから私は、
「優しさを身につける」ということは、優しい行動を覚えることではないのかもしれない
と思うようになりました。
まとめ 優しさとは、自分自身を助けること
「優しさって、いったい何なんだろう?」
最初は、そんな疑問でした。
今の私なら、こう答えると思います。
優しさとは、
自分を犠牲にすることではない。
相手に何でも合わせることでもない。
自分の感情を押し殺すことでもない。
むしろ、
自分の感情をちゃんと扱うこと。
自分と相手との間に、適切な距離をつくること。
相手の行動を、表面だけで判断しないこと。
相手にも自分と同じように、感情や事情があると考えること。
そして、
相手のことを考えた上で、自分の考えをちゃんと表現すること。
そうやって、自分も相手も一人の人間として扱うこと。
それが、今の私が考える「優しさ」です。
そして、もう一つ。
私は今回、最初に「昔の自分には優しさがなかった」と考えていた自分自身についても、少し見方が変わりました。
昔の私は、優しさを理解できなかった。
でも、それは「優しさがなかった」ということではなかった。
判断するための材料が、まだ少なかっただけなのかもしれない。
自分の感情を扱う経験。
人間関係を経験すること。
失敗すること。
時間を置くこと。
距離を取ること。
人を観察すること。
自分自身を知ること。
そういうものを、人生の中で少しずつ積み重ねてきた。
そして、ある程度の材料が揃った今になって、
「ああ、これが優しさと呼ばれているものなのかもしれない」
と、ようやく分かり始めた。
だから、優しさは「才能」ではないのかもしれません。
生まれつき優しい人だけが持っているものでもない。
人生の中で、自分自身と人間を少しずつ理解していく。
その積み重ねの先で、いつの間にか身についているものなのかもしれません。
そして、最後に今日の私が一番しっくりきている言葉を残したいと思います。
優しさとは、自分自身を助けることなのかもしれない。
自分の感情を助ける。
自分を感情から守る。
自分を必要以上に責めない。
自分の意思を大切にする。
そして、自分を大切にできるようになったからこそ、相手のことも少し考えられるようになる。
そう考えると、
「自分を助けること」と「人に優しくすること」は、反対側にあるものではない。
むしろ、同じ方向を向いているのかもしれません。
私はこれからも、優しい人になろうとは思わないでしょう。
(笑)
ただ、
自分の感情をちゃんと扱い、人のことを考え、自分の考えを持って生きる。
それを続けていきたいと思います。
その結果として、いつか振り返ったときに、
「昔より、少し優しくなったな」
と思えたら。
それで十分なのだと思います。
「優しさを身につける」ということは、誰かに優しくなることではなく、自分自身と人間を少しずつ理解しながら、自分の生き方を整えていくことなのかもしれません。
今回のシリーズは、ここで終わります。
でも、「優しさって何だろう?」という問いについては、これからも時々、考えてみたいと思います。
