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頑張った自分へのご褒美(刺激)が、充実感を遠ざけていたのかもしれない②~頑張ったからこそ、何かを求めていた~202

1 努力した自分を認めてほしい気持ち

人は誰でも、

「頑張った自分を認めたい」

という気持ちを持っていると思います。

仕事で責任を果たした。

大変なことを乗り越えた。

嫌なことがあっても一日を終えた。

そんな時、

「何か良いことがあってもいいのではないか。」

と思う。

これは決して悪いことではありません。

むしろ、自分を大切にするために必要な感情だと思います。

問題は、その先です。

2 ご褒美が、いつの間にか刺激になっていた

以前の私は、

「頑張ったから休みたい。」

という気持ちから、

「頑張ったから、何か特別なことをしたい。」

という気持ちになることがありました。

この二つは似ていますが、少し違います。

休むことは、自分を回復させます。

しかし、強い刺激を求めることは、場合によっては自分をさらに疲れさせることがあります。

例えば、

もう少しだけ。

あと少しだけ。

そう思っているうちに時間が過ぎていく。

楽しい時間だったはずなのに、気づけば睡眠時間が削られている。

そして翌日、少し疲れが残っている。

そんな経験がありました。

3 その場の満足と、後から感じる満足は違う

ここで、あることに気づきました。

人が求める満足には、二種類あるのではないか。

一つは、その瞬間に感じる満足。

「楽しい。」

「面白い。」

「気分が変わった。」

という感覚です。

もう一つは、一日の終わりに感じる満足。

「今日も良い一日だった。」

「明日も頑張れそうだ。」

という静かな充実感です。

以前の私は、その瞬間の満足を求めることがありました。

しかし、後から振り返ると、本当に欲しかったのは後者だったのかもしれません。

4 明日の自分への贈り物という考え方

そこで、少し考え方を変えてみました。

ご褒美とは、今日の自分だけを喜ばせるものではないのではないか。

明日の自分も喜ぶものこそ、本当のご褒美なのではないか。

早く寝る。

体を休める。

好きな本を読む。

静かな時間を過ごす。

こうした行動は、その瞬間には大きな刺激ではありません。

しかし翌朝、

「昨日は良い選択をしたな。」

と思えることがあります。

それは、とても小さいですが確かな充実感です。\

まとめ

頑張った後に刺激を求めること。

それは、自分を労いたいという自然な気持ちから生まれるものです。

だから、その気持ち自体を否定する必要はありません。

ただ、一つ考えたいことがあります。

そのご褒美は、

今日の自分だけを満たすものなのか。

それとも、明日の自分も幸せにするものなのか。

私は少しずつ、その違いを考えるようになりました。

頑張った自分へのご褒美。

その選び方によって、一日の終わりに感じる充実感は変わるのかもしれません。

次回は、実際に私自身が感じた「刺激を求めた後に残ったもの」について、さらに考えてみたいと思います。

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