こんにちは、ヨハニです。
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前回は、頑張った自分へのご褒美として刺激を求めることについて考えました。
一日仕事を頑張った後。
「今日は疲れた。」
「少しくらい好きなことをしてもいいだろう。」
そんな気持ちになることがあります。
そして、私は考えました。
なぜ私たちは、頑張った後ほど強い刺激を求めたくなるのだろう。
そこには、単なる欲ではなく、人間らしい理由があるのではないかと思ったのです。
1 努力した自分を認めてほしい気持ち
人は誰でも、
「頑張った自分を認めたい」
という気持ちを持っていると思います。
仕事で責任を果たした。
大変なことを乗り越えた。
嫌なことがあっても一日を終えた。
そんな時、
「何か良いことがあってもいいのではないか。」
と思う。
これは決して悪いことではありません。
むしろ、自分を大切にするために必要な感情だと思います。
問題は、その先です。
2 ご褒美が、いつの間にか刺激になっていた
以前の私は、
「頑張ったから休みたい。」
という気持ちから、
「頑張ったから、何か特別なことをしたい。」
という気持ちになることがありました。
この二つは似ていますが、少し違います。
休むことは、自分を回復させます。
しかし、強い刺激を求めることは、場合によっては自分をさらに疲れさせることがあります。
例えば、
もう少しだけ。
あと少しだけ。
そう思っているうちに時間が過ぎていく。
楽しい時間だったはずなのに、気づけば睡眠時間が削られている。
そして翌日、少し疲れが残っている。
そんな経験がありました。
3 その場の満足と、後から感じる満足は違う
ここで、あることに気づきました。
人が求める満足には、二種類あるのではないか。
一つは、その瞬間に感じる満足。
「楽しい。」
「面白い。」
「気分が変わった。」
という感覚です。
もう一つは、一日の終わりに感じる満足。
「今日も良い一日だった。」
「明日も頑張れそうだ。」
という静かな充実感です。
以前の私は、その瞬間の満足を求めることがありました。
しかし、後から振り返ると、本当に欲しかったのは後者だったのかもしれません。
4 明日の自分への贈り物という考え方
そこで、少し考え方を変えてみました。
ご褒美とは、今日の自分だけを喜ばせるものではないのではないか。
明日の自分も喜ぶものこそ、本当のご褒美なのではないか。
早く寝る。
体を休める。
好きな本を読む。
静かな時間を過ごす。
こうした行動は、その瞬間には大きな刺激ではありません。
しかし翌朝、
「昨日は良い選択をしたな。」
と思えることがあります。
それは、とても小さいですが確かな充実感です。\
まとめ
頑張った後に刺激を求めること。
それは、自分を労いたいという自然な気持ちから生まれるものです。
だから、その気持ち自体を否定する必要はありません。
ただ、一つ考えたいことがあります。
そのご褒美は、
今日の自分だけを満たすものなのか。
それとも、明日の自分も幸せにするものなのか。
私は少しずつ、その違いを考えるようになりました。
頑張った自分へのご褒美。
その選び方によって、一日の終わりに感じる充実感は変わるのかもしれません。
次回は、実際に私自身が感じた「刺激を求めた後に残ったもの」について、さらに考えてみたいと思います。

