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頑張った自分へのご褒美(刺激)が、充実感を遠ざけていたのかもしれない③~楽しかったはずなのに、なぜ心は満たされなかったのだろう~203

1 その瞬間は、確かに楽しかった

刺激を求めた時間。

その瞬間は、決して悪いものではありませんでした。

仕事が終わった解放感。

自由になった時間。

「今日は頑張ったから。」

そう思いながら過ごす時間は、確かに楽しいものです。

好きなことをする。

気分転換をする。

日常とは違う時間を味わう。

その瞬間だけを見るなら、良い時間だったと思います。

しかし、問題はその後でした。

2 翌日の自分が教えてくれたこと

気がつけば、就寝時間が遅くなっている。

「あと少しだけ。」

その気持ちが積み重なり、予定より夜更かししてしまう。

そして翌朝。

いつものように早朝ウォーキングをしようと思っても、少し体が重い。

本来なら気持ちよく迎えられる朝が、少しだけ違って感じる。

もちろん、一度や二度のことなら大きな問題ではありません。

しかし、それが習慣になると、少しずつ自分の生活リズムに影響していきます。

そこで思いました。

「この時間は、本当に自分を大切にする時間だったのだろうか。」

3 心を整える時間を失っていた

さらに気づいたことがあります。

それは、就寝前の時間の大切さでした。

一日の終わり。

静かに振り返る時間。

明日に向けて心を整える時間。

この時間があることで、人は一日を終えることができるのではないかと思います。

しかし、強い刺激を求めた日は、その大切な時間が少なくなっていました。

楽しい時間は増えたはずなのに、

心を落ち着ける時間は減っていた。

そして、眠る直前になって、

「今日はこれで良かったのだろうか。」

そんな小さな違和感が残ることがありました。

4 楽しいことと、満たされることは違った

ここで一つの気づきがありました。

楽しいことと、満たされることは、必ずしも同じではない。

楽しい時間は、その瞬間を明るくしてくれます。

でも、充実感というものは、

「自分にとって大切なことを積み重ねた。」

という感覚から生まれるものなのかもしれません。

早起きができた。

体を動かせた。

ブログを書くことができた。

家族と穏やかに過ごせた。

そうした小さな積み重ねの方が、一日の終わりには深い満足感を残してくれることがあります。

まとめ

頑張った自分へのご褒美。

それは必要なものです。

しかし、今回考えたのは、

「どんなご褒美を選ぶか。」

ということでした。

その瞬間だけ喜ぶものなのか。

それとも、翌日の自分も喜ぶものなのか。

刺激を求める時間が悪いわけではありません。

ただ、私は気づきました。

本当に欲しかった充実感は、強い刺激の中ではなく、日々を整えた先にあったのかもしれない。

次回は、では刺激を完全になくすべきなのか。

それとも、刺激と上手に付き合う方法があるのか。

そのことについて考えてみたいと思います。

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