こんにちは ヨハニです。 ※本ページはプロモーションを含みます。
最近、ふと考えることがあります。
「優しさって、いったい何なんだろう?」
私はこれまで、優しさについて真剣に考えて生きてきたわけではありません。
「優しい人になろう」と努力してきたわけでもありません。
むしろ、昔の私は「優しさ」というものが、よく分かりませんでした。
自分には無理だな。
自分のことで精一杯なのに、人のことまで考えられない。
自分を差し置いて人に譲るなんて、少し美化しすぎじゃないか。
そんなふうに思っていました。
それなのに、歳を重ね、人間関係について考え、自分自身の感情や行動について考えるようになってから、少しずつ何かが変わってきました。
相手の行動を、すぐに表面だけで判断しない。
感情的になったら、すぐに対応せず時間を置く。
自分と相手との間に、少し距離をつくる。
相手のことを考えながら、自分の考えもちゃんと表現する。
そんなことを一つずつ繰り返してきました。
そして最近になって、
「あれ? これって、世間でいう『優しさ』なんじゃないか?」
と思うようになったのです。
しかも、もっと不思議なのは、
優しくなろうとして、そうしてきたわけではない
ということです。
ただ、自分が少しでも生きやすくなるように。
人間関係で自分を失わないように。
目の前の人や出来事を、できるだけ正しく見られるように。
そうやって生きてきた。
その結果として、いつの間にか「優しさ」というものに近づいていたのかもしれません。
今回は、そんな私自身の「優しさ」に対する考え方を、少し振り返ってみたいと思います。
まずは、昔の私がなぜ「優しさ」を理解できなかったのか。
そこから始めてみます。
第1章 「優しさ」という言葉が、昔はよく分からなかった
昔の私は、「優しさ」というものに、かなり距離を感じていました。
自分には無理だな、と。
自分のことで精一杯なのに、人のことまで考えられない。
自分を差し置いて人に譲る。
困っている人を助ける。
嫌なことがあっても相手を許す。
世の中で「優しい人」と聞いて思い浮かぶ姿は、私にとってどこか美化された人生のように感じていました(笑)。
もちろん、家族や近しい人は別です。
でも、それ以外の人にまで、なぜそこまで優しくする必要があるのか。
正直、私の中にはその根拠がありませんでした。
だから「優しさ」というものが、よく分からなかった。
ただ、不思議なことに、
「自分には優しさがないな」
という劣等感はありました。
周りには自然に人に優しくできる人がいる。
自分には、そういうものがない。
そう感じることはありました。
でも、深く悩んだわけでもありません。
「まあ、しゃあないか(笑)」
そんな感じでした。
今になって思えば、そもそも私は、「優しさ」を判断するための材料を持っていなかったのだと思います。
第2章 自分の感情を、おざなりにしていた
そして今振り返ると、もう一つ大きなことに気づきます。
昔の私は、自分自身の感情を、ちゃんと扱っていなかったのだと思います。
嫌なことがあっても、そのまま流す。
腹が立っても、なぜ腹が立ったのかを考えない。
傷ついても、自分がなぜ傷ついたのかを深く考えない。
「自分は今、何を感じているのか?」
そこに、あまり目を向けていませんでした。
でも、最近になって思うのです。
自分の感情をちゃんと扱おうとしない人が、他人の感情について考えられるのだろうか?
他人の気持ちを想像するには、基準が必要です。
「自分だったらどう感じるだろう」
「こんなことをされたら嫌だな」
「こう言われたら、傷つくかもしれない」
そういう自分自身の感情への理解があって、初めて他人の感情も想像できる。
そう考えると、昔の私には「優しさ」を理解するための材料が足りなかった。
それは、「優しくなかった」ということとは、少し違うのかもしれません。
第3章 時間を置くことで、人との距離が見えるようになった
私は、人にひっぱられやすいところがあります。
人のために何かをするときは、やる気も出るし、ものすごく集中できます。
でも、人間関係では、それがマイナスになることもあります。
相手の感情に、自分まで引っ張られてしまう。
だから私は、人間関係において距離感が大切だと思うようになりました。
何か問題が起きたからといって、すぐに対応しない。
一度、時間を置く。
すると、少し冷静になります。
自分と相手との間に距離ができます。
そして、その距離ができると、私の中にある「洞察力」を使えるようになる。
「本当にそうなのだろうか?」
「別の可能性はないだろうか?」
「この人には、この人なりの事情があるのではないか?」
そうやって、相手の行動を表面だけで捉えないようにする。
以前なら、短絡的な発想や感情にそのまま捉えられていたかもしれない。
でも今は、一度立ち止まることができる。
すると、状況を客観的に見ることができる。
相手を見ることもできる。
そして、自分自身を見ることもできる。
面白いことに、ここで私は自分の中にある**「洞察力」**にも気づきました。
感受性が強く、人にひっぱられやすい。
一見すると弱点です。
でも、時間を味方につけることで、その感受性に飲み込まれずに済む。
その結果、洞察力を発揮できる。
自分の特性を、少しずつ自分で扱えるようになってきたのだと思います。
第4章 「考えてから行動する」が、優しさなのかもしれない
最近、私はもう一つ思うようになりました。
自分の考えを表現することは、優しさなのではないか。
特に、人間関係において。
自分の考えを相手に伝えるということは、実は相手のことを考えなければできません。
どう伝えるか。
いつ伝えるか。
どこまで伝えるか。
自分の感情だけで話していないか。
相手はどう受け取るだろうか。
そうやって考えてから、行動に移す。
この一連の流れそのものが、世間でいう「優しさ」なのではないか。
そう思うようになりました。
もちろん、私は「優しい人になろう」と考えて、これをやっているわけではありません。
自分の感情を扱う。
時間を置く。
距離を取る。
相手のことを考える。
自分の考えを持つ。
そして、自分の意思で表現する。
ただ、自分が生きやすくなるために、そうしてきただけです。
でも、振り返ってみると、
「これって、優しさと呼ばれているものなんじゃないか?」
と思うのです。
まとめ 優しさを理解するための材料
昔の私は、優しさがよく分かりませんでした。
自分には優しさがない。
そんな劣等感もありました。
でも、当時の自分を否定する気持ちはありません。
あの頃はあの頃で、自分なりに精一杯生きていました。
ただ、今になって思うのです。
優しさを理解するための材料が、まだ少なかったのではないか。
自分の感情を扱うこと。
人の感情を考えること。
問題が起きたときに、感情と状況を分けて見ること。
すぐに判断せず、時間を置くこと。
人との距離を取ること。
自分の考えを持つこと。
そして、相手のことも考えた上で、自分の意思を表現すること。
そんな経験を一つずつ積み重ねてきた。
そして今になって、ようやく少し分かってきた気がします。
優しさとは、自分を犠牲にして誰かに尽くすことではないのかもしれない。
むしろ、
自分自身をちゃんと扱えるようになること。
そこから始まるものなのかもしれません。
そして今日、私はふと思いました。
「優しさとは、自分自身を助けることなのではないか。」
まだ、答えは分かりません。
でも、この問いはしばらく考えてみたいと思います。
次回は、もう少し「自分を助けること」と「人に優しくすること」のつながりについて考えてみます。

