前回、私は「未来を考えるほど、未来が狭くなっていた」という話を書きました。
未来について考える。
これからどうするのかを考える。
失敗しないように考える。
そうやって慎重に考えているつもりが、いつの間にか「今の自分が想像できる未来」だけを未来だと思っていた。
そんなことに気づきました。
では、どうすればいいのでしょうか。
もっと考える?
もっと情報を集める?
もっと将来のことを勉強する?
もちろん、それも大切です。
でも、あるところから私は、
「これ以上考えても、今の自分には分からないんじゃないか」
と思うようになりました。
そして、出てきたのが、とても単純な答えでした。
「だったら、まずやってみよう。」
なんだか拍子抜けするくらい単純です。
でも、今の私には、この言葉が以前よりもずっと大きな意味を持っています。
第1章 私は「納得してから動きたい」人だった
私は、何かを始めるとき、ある程度納得してから動きたいタイプです。
「これは意味があるのか」
「この先どうなるのか」
「本当にやる価値があるのか」
そんなことを考えます。
自分では慎重に考えているつもりでした。
そして、考えること自体は決して悪いことではありません。
むしろ、これまでの人生で、考えたからこそ避けられた失敗もあったと思います。
ただ、人生について考えるようになってから、一つ問題が見えてきました。
人生には、「やってみなければ分からないこと」があまりにも多い。
これは、いくら考えても仕方がありません。
やったことがないことの結果を、経験する前から正確に知ることはできない。
それなのに私は、
「分かってから動こう」
としていた。
でも、それではいつまで経っても動けないことがあります。
なぜなら、
動かなければ分からないことを、動く前に分かろうとしているからです。
この矛盾に気づいてから、少しずつ考え方が変わってきました。
「完璧に納得してから動く」のではなく、
「今の自分が納得できる範囲で、一度やってみる」
それでいいのではないか。
そう思うようになりました。
第2章 高校受験のとき、私は知っていた
実は私は、以前から「自分が納得した方向に進む力」を知っていました。
高校受験のときです。
受験勉強は、決して楽なものではありませんでした。
勉強しなければならない。
自由な時間も制限される。
思うようにいかないこともある。
当然、苦しいこともありました。
でも、振り返ってみると、不思議なくらい充実していました。
苦しかったのに、充実していた。
制約がたくさんあったのに、燃えていた。
ここが、今の私にとって大きなヒントになっています。
私は、肉体的な苦痛を減らしたいわけではないのかもしれない。
制約をなくしたいわけでもない。
ただ、
「自分が納得した目標に向かって進んでいる」
という感覚が欲しいのではないか。
そう考えるようになりました。
あの頃の私は、未来を完全に理解していたわけではありません。
高校に入った後の自分がどうなるかなんて、分かりませんでした。
それでも、
「ここに行きたい」
という目標があった。
だから、そのために今日やることが分かった。
勉強する。
昨日より少しできるようになる。
また勉強する。
そして、また少し前に進む。
今思えば、私はあの頃、
「頭の中で未来を完成させてから進んでいた」のではなく、「目標に向かって進みながら未来に近づいていた」
のだと思います。
第3章 「まずやってみる」は、未来を変えるためだけではない
今、私はブログを書いています。
始めた当初、今のようになるとは思っていませんでした。
こんなにたくさんの記事を書くとも思っていなかった。
人生について、ここまで考えるとも思っていなかった。
ブログそのものについて考えていたはずなのに、いつの間にか、
「自分はどう生きたいのか」
というところまで考えるようになりました。
そして、その過程で、自分でも知らなかった考えに出会いました。
これは、始めなければ起こらなかったことです。
だから私は、
「行動する」ということは、未来を変えるためだけのものではない
と思うようになりました。
行動すると、
未来を変えるための材料が増える。
これが、ものすごく大きい。
記事を書けば、次に考えたいことが出てくる。
誰かの言葉に触れれば、自分の考えが変わる。
新しいことをやれば、「自分はこういうことが好きだったんだ」と気づくことがある。
逆に、
「これは自分には合わない」
と分かることもあります。
それも立派な発見です。
つまり、
行動とは、自分の未来を決めるための行為ではなく、自分の未来を知るための行為でもある。
私は最近、そんなふうに考えています。
第4章 ダメでも、前には進める
もちろん、「まずやってみよう」と思ったからといって、何でもうまくいくわけではありません。
失敗することもあります。
思っていたものと違うこともあります。
途中でやめることだってあるでしょう。
でも、最近は以前ほど、
「失敗したらどうしよう」
と思わなくなりました。
なぜなら、
「ダメだったとしても、何かは分かる」
と思えるようになったからです。
やってみて成功すれば、もちろん前に進む。
やってみて失敗しても、
「これは自分には合わなかった」
ということが分かる。
思っていたほど楽しくなければ、
「自分はこういうものには燃えないんだ」
と分かる。
逆に、
「意外と面白い」
と思えば、
そこから新しい方向が見えてくる。
そう考えると、行動には完全な「失敗」がないのかもしれません。
少なくとも、
何もしないまま、頭の中で未来を悲観している状態からは、一歩前に進んでいます。
だから最近、私は自分にこう言うことがあります。
「とりあえず、やってみよう。」
大きな決断でなくてもいい。
小さくてもいい。
少しでも「こっちに光があるな」と感じるなら、そちらへ動いてみる。
その先がどうなるかは、まだ分からない。
でも、
分からないからこそ、見に行ってみる。
それくらいの気持ちでいいのではないかと思っています。
まとめ 未来を知ってから歩く必要はない
以前の私は、
「これからどうなるのか分からない」
ことを不安に感じていました。
だから、考えました。
もっと考えれば、未来が見えるようになると思っていたのかもしれません。
でも、今は少し違います。
いくら考えても、今の自分が経験していないことまでは分からない。
今の自分が知らない未来を、今の自分だけで完成させることはできない。
だったら、
まずやってみる。
やってみて、何かを知る。
知ったことをもとに、また考える。
そして、また動く。
その繰り返しの中で、自分が見ている未来そのものが変わっていくのかもしれません。
私は今、
「行動すれば成功する」
とは思っていません。
むしろ、
「行動すれば、少なくとも今まで見えなかったものが見えてくる」
と思っています。
そして、それだけでも人生は少し面白くなる。
高校受験のとき、私は苦しい環境の中でも燃えていました。
そこには、自分が納得した目標がありました。
今の私は、当時と同じことをする必要はありません。
でも、
「自分が納得した方向へ進んでいるとき、自分は力を出せる」
ということは、人生を考えるうえで大切なヒントになると思っています。
だから、今の私は完璧な未来を求めるより、
「今の自分が少しでも光を感じる方向へ、一歩動いてみる」
ことを大切にしたい。
その先で何が待っているのかは、まだ分かりません。
でも、それでいい。
なぜなら、
未来は、歩き始めた後にしか見えてこないものもあるからです。
そして次回は、実際に動いてみたとき、
「自分の中に何が起こるのか」
について、もう少し考えてみたいと思います。

