前回、私は、
「この先も、きっとこうなんだろう」
と思っていた未来について書きました。
今の仕事。
今の生活。
今までの経験。
そこから考えれば、おそらくこうなるだろう。
そんなふうに未来を想像していました。
もちろん、未来を考えること自体が悪いわけではありません。
むしろ、これからの人生を考えることは大切なことだと思います。
ただ、あるとき私は、少し妙なことに気づきました。
未来について真剣に考えているはずなのに、考えれば考えるほど、未来が狭くなっているような気がする。
「こうなるだろう」
「たぶん、こうするしかない」
「今の自分なら、これくらいだろう」
そんなふうに、未来の選択肢を少しずつ減らしている自分がいました。
そこで、考えてみたのです。
なぜ私は、未来を考えることで、未来を狭くしてしまうのだろう。
第1章 私たちは「今」を材料にして未来を考える
未来を想像するとき、私たちは何を材料にするのでしょうか。
私は、基本的には「今までの自分」だと思っています。
これまで経験してきたこと。
今持っている能力。
現在の仕事。
現在の生活。
これまでの成功や失敗。
そして、自分について知っていること。
それらを組み合わせて、
「きっとこれからはこうなる」
と考えます。
これは、とても合理的なことです。
何の材料もないところから未来を想像することはできません。
だから、過去の経験から未来を予測する。
それは人間が生きていくために必要な能力なのだと思います。
ただ、ここには一つの限界があります。
今の自分が持っている材料からしか、未来を想像できない。
私は、ここに気づきました。
例えば、今まで一度も経験したことのない仕事を始めたとします。
始める前の自分には、その仕事を始めた後の自分がどう変化するのか、正確には分かりません。
新しい人との出会いもそうです。
新しい場所に行くこともそうです。
何かを作ることもそうです。
やってみなければ分からないことが、人生にはたくさんあります。
それなのに私は、
「これからどうなるのか」を、今持っている材料だけで一生懸命考えていた。
今思えば、少し無理のあることをしていたのかもしれません。
第2章 「分からない」を「悪い未来」に置き換えていた
さらに考えてみると、私にはもう一つの癖がありました。
未来が分からないとき、私はその空白を、あまり明るい方向には想像しないのです。
「うまくいかなかったらどうしよう」
「このまま何も変わらなかったら」
「年齢を重ねたら、もっと難しくなるのではないか」
「今からでは遅いのではないか」
そんなことを考えてしまう。
もちろん、慎重になることは悪いことではありません。
失敗を予測することも、自分を守るためには必要です。
ただ、
「分からない未来」と「悪い未来」は、本来別のものです。
ここが私にとって大きな気づきでした。
未来が分からない。
それだけなのに、
「きっと良くない方向に行くのではないか」
と、自分の中で勝手につなげてしまう。
そして、その想像を何度も繰り返していると、いつの間にか、
「まだ起きていない未来」を「もう決まっている未来」のように感じてしまう。
これは、考えているようでいて、実は未来を決めつけているのかもしれません。
第3章 「今の自分」から見える未来には限界がある
私は、自分のことをそれほど楽観的な人間だとは思っていません。
むしろ、考え始めると、
「本当に大丈夫なのか」
「失敗しないか」
「意味があるのか」
と、いろいろなことを考えます。
だからこそ、今回のことに気づいたのは大きかったのです。
私は、未来を正確に予測できるほど、自分のことを理解しているわけではない。
そもそも、
今の自分が、未来の自分を完全に理解できるはずがない。
今の自分と、数年後の自分では、経験も考え方も違うはずです。
環境だって変わるかもしれません。
家族の状況も変わる。
仕事も変わる。
自分自身の価値観だって変わるかもしれない。
それなのに、
「今の自分が考えた未来」
を、
「未来そのもの」
だと思ってしまう。
これは、少し不思議なことです。
そして、そう考えてみると、今まで悲観していた未来についても、少し見え方が変わりました。
「私は未来を悲観していたのではなく、今の自分から見える未来を、未来のすべてだと思っていたのかもしれない。」
そう思うようになったのです。
第4章 だから私は、「答え」より「余白」を残したい
では、どうすればいいのでしょうか。
未来を考えることをやめればいいのでしょうか。
私は、そうは思いません。
これからの人生について考えることは、これからも続けたいと思っています。
ただ、
「こうなるはずだ」
と、未来を決めすぎない。
そんなことを意識するようになりました。
「こうしたい」
という希望は持つ。
「こうなったらいいな」
という方向も考える。
でも、
「きっとこうなる」
とは決めない。
未来に少し余白を残しておく。
その余白には、
今の自分が知らないことが入ってくるかもしれません。
思いがけない出会いがあるかもしれない。
思ってもいなかった出来事が起こるかもしれない。
自分自身が変わってしまうかもしれない。
そう考えると、未来が少し面白くなってきます。
「何が起こるか分からない」ということは、怖いことでもあります。
でも同時に、
「何が起こるか分からないからこそ、今の自分が想像している以上のものが待っている可能性もある」
ということです。
私は、その可能性を自分で閉じてしまいたくないと思うようになりました。
まとめ 未来が見えないことは、悪いことではない
以前の私は、
「将来が見えない」
ことを不安に感じていました。
でも今は、少し違います。
将来が見えない。
それは、
未来が決まっていないからなのかもしれない。
今の自分には想像できない。
それは、
今の自分がまだ知らないものがあるからなのかもしれない。
そう考えることができるようになりました。
もちろん、現実には簡単に変えられないこともあります。
年齢も戻せません。
これまでの経験も消せません。
現在の環境にも、さまざまな制約があります。
だからといって、
今見えている未来まで固定されているわけではない。
私は、そこを区別したいと思っています。
そして、ここまで考えて、ようやく一つの疑問が生まれました。
もし本当に、
「今の自分が想像できる未来」と「実際の未来」が違うのだとしたら。
今の自分には見えていない未来を、どうやって見つければいいのでしょうか。
頭の中で、さらに考え続ければいいのでしょうか。
それとも――。
一度、動いてみた方がいいのでしょうか。
次回は、ここから少し話を進めてみたいと思います。

