こんにちは ヨハニです。 ※本ページはプロモーションを含みます。
最近、自分のことを改めて考えていて、ふと思ったことがあります。
「もしかして、私は世間でいう『繊細さん』なのでは?」
……なんて(笑)。
これまで私は、自分のことを「感受性が強いほう」だとは思っていました。
人の言葉や態度が気になったり、周りの空気を必要以上に受け取ってしまったり。
何気なく見たもの、聞いたことから、いろいろと考え始めてしまう。
そして、考え始めると止まらない。
気がつけば、もともとは小さなことだったはずなのに、自分の中で随分と大きな問題になっている。
そんなことが、これまで何度もありました。
そんな自分を振り返っていると、「繊細さん」という言葉が頭に浮かんできたのです。
① 私は、なぜこんなにいろいろ考えてしまうのだろう
私は、人と話した後に「あの言葉はどういう意味だったんだろう」と考えることがあります。
仕事でもそうです。
相手の表情や言葉の微妙な変化が気になったり、場の空気を読もうとしてしまったりする。
もちろん、それがすべて悪いわけではありません。
人の気持ちを考えられることは、仕事でも家庭でも役に立つことがあります。
でも、受け取ったものを自分の中で処理しきれなくなることもある。
「そこまで考えなくてもいいんじゃない?」
と、自分でも思うくらいです(笑)。
そして、私の場合は、そこからさらに厄介なことが起こります。
一つのことを考えているうちに、別のことがつながってくる。
「あれはどういうことなんだろう?」
「だったら、これは?」
「そもそも自分は何をしたいんだ?」
そんなふうに考えていると、いつの間にか最初の問題とは全然違うところまで行ってしまいます。
これはブログを書いているときにも、よくあります。
最初は小さな気づきだったはずなのに、考えているうちに人生の話になっている(笑)。
でも、考えること自体が嫌いなわけではありません。
むしろ、私は考えることが好きなんだと思います。
② 「繊細さん」という言葉を知って
そんな自分を見ていると、「繊細さん」という言葉が少し気になってきました。
もちろん、私は専門家ではありません。
ここで「繊細さんとはこういう人です」と説明したいわけでもありません。
ただ、世間で使われている「繊細さん」という言葉を見ていると、
「自分にも、こういうところがあるな」
と思う部分があるのです。
外から受け取るものが多い。
人の感情や周囲の状況を気にする。
いろいろなことを深く考えてしまう。
そして、考えすぎて疲れることもある。
「あれ?
これって、結構自分のことじゃないか?」
そんな気持ちになりました(笑)。
ただ、ここで一つ思うことがあります。
私は、自分のことを「繊細だからダメなんだ」とは思いたくありません。
なぜなら、私が「繊細さ」と呼んでいるものは、私の人生の中で悪いことばかりを生み出してきたわけではないからです。
むしろ、その反対の部分もあります。
いろいろなものを感じる。
だから、考える。
考えるから、文章を書く。
文章を書いているうちに、新しいことに気づく。
何かを作りたくなる。
植物を育てたくなる。
お茶を点てたくなる。
海を見たくなる。
そう考えると、私の中にある「感じすぎる部分」は、私を苦しめるだけのものではありません。
③ 40年生きてきて、少し分かってきたこと
40年生きてきて、最近になって分かってきたことがあります。
私は、案外小さなことで満足できる男なのです(笑)。
子供たちと過ごす。
奥さんと世間話をする。
仕事に行く。
歩く。
本を読む。
植物を育てる。
お香を焚く。
お茶を点てる。
ブログを書く。
クリエイティブなことをする。
これだけで、結構幸せです。
「今日、これができた」
それだけで、十分だと思えることがあります。
ところが、そんな自分とは裏腹に、頭の中では人生を複雑にしてしまうことがあります。
もっとこうしなければ。
もっと成長しなければ。
もっと将来を考えなければ。
人と比べて、自分はどうなのだろう。
自分の理想は、もっとこうあるべきなのではないか。
そうやって考えているうちに、本当は小さなことで満足できる自分なのに、いつの間にか自分で作った複雑な基準に苦しくなっている。
最近、そんなことに気づきました。
④ もしかすると、これも私の「繊細さ」なのかもしれない
外から入ってくるものが多ければ、それだけ自分の中で考えることも増える。
そして考えることが増えれば、理想や価値観もどんどん細かくなっていく。
「こうなりたい」という理想が、いつの間にか「こうでなければならない」に変わってしまう。
そんなこともあるのかもしれません。
だから私は最近、
「もっと自分を変えなければ」
ではなく、
「また自分で人生を難しくしていないかな?」
と考えるようになりました。
これは、私にとって結構大きな変化です。
私は、自分の繊細さをなくしたいとは思っていません。
そもそも、なくせるものなのかも分かりません(笑)。
それなら、
「この性質と、どう付き合っていくか」
を考えたほうがいい。
そう思うようになりました。
たくさん受け取ってしまう自分。
いろいろ考えてしまう自分。
時々、人生を必要以上に難しくしてしまう自分。
そんな自分を否定するのではなく、
「そういうところがあるんだな」
と知っておく。
そして、必要なときには自分のところへ戻ってくる。
その方法を、私はこれからも探していきたいと思っています。
⑤ 今回、気づいたこと
今回、「もしかして私は繊細さんなのでは?」と思ったことで、一つ分かったことがあります。
それは、
自分の性質を知ることは、自分を責めるためではなく、自分を扱いやすくするためなのかもしれない。
ということです。
「自分はなぜ、こんなに考えてしまうんだろう」
と責めるのではなく、
「私は、いろいろなものを受け取りやすいんだな」
と知っておく。
それだけでも、少し自分との付き合い方が変わるのかもしれません。
そして、もしこの記事を読んで、
「自分も少し似ているかもしれない」
と思われた方がいるなら、一つだけ考えてみてほしいことがあります。
あなたは、どんなときに「自分に戻った」と感じますか?
音楽を聴いているときかもしれません。
散歩をしているときかもしれません。
料理をしているときかもしれません。
誰かと話しているときかもしれません。
一人で静かに過ごしているときかもしれません。
私の場合は、それが歩くことだったり、お茶だったり、植物だったり、文章を書くことだったりします。
そして、ときには海です。
繊細さをなくす必要はないのかもしれません。
大切なのは、繊細な自分が、自分の場所へ戻ってこられる方法を知っておくこと。
私は、そんなふうに考え始めています。
そして次回は、もう少し踏み込んで、
「繊細だから、私は一体何を受け取ってしまっているのだろう?」
ということを考えてみたいと思います。
