ヨハニログ

人は演じなければ生きていけないのか①~会社の私と家庭の私~161

1 家庭を持って気づいたこと

家庭を持ってから、私の中で一つの発見がありました。

会社では、自然と気を張っています。

責任を果たそうとし、周囲に気を配り、失敗しないように行動する。

それは社会人として、ごく当たり前のことなのでしょう。

一方、家へ帰ると肩の力が抜けます。

子どもたちと笑い、家族と食卓を囲み、何気ない会話を楽しむ。

特別なことは何もありません。

それでも、その時間が私の心を少しずつ元に戻してくれます。

会社の私と家庭の私は、同じ人間なのに、まるで別人のようでした。

2 役割によって変わる自分

考えてみると、私たちは一日の中で何度も役割を変えています。

会社では社会人。

家庭では父親。

夫として、友人として、地域では近所の一人として。

相手や場所が変われば、自然と振る舞いも変わります。

以前の私は、その違いを「自分を作っている」と考えていました。

でも最近は、少し違うのではないかと思うようになりました。

役割が変われば、求められる姿も変わる。

それは決して不自然なことではなく、人として生活していくために必要なことなのかもしれません。

3 気を張る場所、心を休める場所

社会は、多くの人が責任を果たすことで成り立っています。

だから会社では、ある程度気を張る必要があります。

もし誰も責任を持たなければ、仕事は前へ進みません。

しかし、ずっと気を張り続けることもできません。

だからこそ家庭という場所があるのだと思います。

安心して笑える場所。

失敗しても受け止めてもらえる場所。

頑張らなくても、自分でいられる場所。

私にとって家庭は、また明日へ向かうための港のような存在です。

4 演じているのか、生きているのか

以前の私は、「会社では演じている」と思っていました。

でも最近は、その考え方が少し変わってきました。

演じているのではなく、その役割を生きているのではないか。

父親には父親の役割があります。

社会人には社会人の役割があります。

その場にふさわしい振る舞いをすることは、自分を偽ることとは少し違うような気がしています。

ただ、この考えにたどり着くまでには、一つ忘れられない言葉がありました。

それは、前職で言われた一言です。

「管理職になったら、演じなさい。」

私は、その言葉の意味を長い間考え続けてきました。

まとめ

会社の私と家庭の私は違う。

以前は、その違いに戸惑い、「どちらが本当の自分なのだろう」と考えていました。

しかし今は、どちらも私自身なのだと思っています。

役割が違えば、求められる振る舞いも変わります。

それは、自分を偽ることではなく、その場で果たすべき責任を大切にしている姿なのかもしれません。

それでも、私の中には一つの問いが残っています。

人は、本当に演じなければ生きていけないのでしょうか。

次回は、前職で私が言われた「管理職になったら、演じなさい。」という言葉を通して、「演じること」の本当の意味について考えてみたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です