こんにちは、ヨハニです。
※本ページはプロモーションを含みます。
私たちは毎日、さまざまな役割を生きています。
会社では社員として。
家庭では夫として、父親として。
友人と会えば友人として。
その場に応じて話し方や表情が変わることは、ごく自然なことなのかもしれません。
しかし私は、家庭を持ってから一つのことに気づきました。
会社にいる自分と、家庭にいる自分は、驚くほど違うということです。
以前は、その違いに違和感を覚えていました。
「会社の私は、本当の私ではないのではないか。」
そんなことを考えた時期もあります。
今回からは、「演じる」という言葉を手がかりに、仕事と家庭、役割と人格、そして自分らしさについて考えてみたいと思います。
1 家庭を持って気づいたこと
家庭を持ってから、私の中で一つの発見がありました。
会社では、自然と気を張っています。
責任を果たそうとし、周囲に気を配り、失敗しないように行動する。
それは社会人として、ごく当たり前のことなのでしょう。
一方、家へ帰ると肩の力が抜けます。
子どもたちと笑い、家族と食卓を囲み、何気ない会話を楽しむ。
特別なことは何もありません。
それでも、その時間が私の心を少しずつ元に戻してくれます。
会社の私と家庭の私は、同じ人間なのに、まるで別人のようでした。
2 役割によって変わる自分
考えてみると、私たちは一日の中で何度も役割を変えています。
会社では社会人。
家庭では父親。
夫として、友人として、地域では近所の一人として。
相手や場所が変われば、自然と振る舞いも変わります。
以前の私は、その違いを「自分を作っている」と考えていました。
でも最近は、少し違うのではないかと思うようになりました。
役割が変われば、求められる姿も変わる。
それは決して不自然なことではなく、人として生活していくために必要なことなのかもしれません。
3 気を張る場所、心を休める場所
社会は、多くの人が責任を果たすことで成り立っています。
だから会社では、ある程度気を張る必要があります。
もし誰も責任を持たなければ、仕事は前へ進みません。
しかし、ずっと気を張り続けることもできません。
だからこそ家庭という場所があるのだと思います。
安心して笑える場所。
失敗しても受け止めてもらえる場所。
頑張らなくても、自分でいられる場所。
私にとって家庭は、また明日へ向かうための港のような存在です。
4 演じているのか、生きているのか
以前の私は、「会社では演じている」と思っていました。
でも最近は、その考え方が少し変わってきました。
演じているのではなく、その役割を生きているのではないか。
父親には父親の役割があります。
社会人には社会人の役割があります。
その場にふさわしい振る舞いをすることは、自分を偽ることとは少し違うような気がしています。
ただ、この考えにたどり着くまでには、一つ忘れられない言葉がありました。
それは、前職で言われた一言です。
「管理職になったら、演じなさい。」
私は、その言葉の意味を長い間考え続けてきました。
まとめ
会社の私と家庭の私は違う。
以前は、その違いに戸惑い、「どちらが本当の自分なのだろう」と考えていました。
しかし今は、どちらも私自身なのだと思っています。
役割が違えば、求められる振る舞いも変わります。
それは、自分を偽ることではなく、その場で果たすべき責任を大切にしている姿なのかもしれません。
それでも、私の中には一つの問いが残っています。
人は、本当に演じなければ生きていけないのでしょうか。
次回は、前職で私が言われた「管理職になったら、演じなさい。」という言葉を通して、「演じること」の本当の意味について考えてみたいと思います。
