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優しさを身につけるということ③~人を表面だけで判断しないということ~208

第1章 「嫌な人」で終わらせない

人間関係では、ときどき「嫌だな」と思う人に出会います。

言い方がきつい。

態度が冷たい。

こちらの気持ちを考えていないように感じる。

そんな場面に出会えば、

「この人は嫌な人だ」

と判断したくなります。

実際、私も昔はそうだったと思います。

目の前で起きたことを見て、

「なんでこんなことをするんだ?」

と感情が動く。

そして、その感情のまま相手を判断する。

でも、少し時間を置いて考えてみると、

「本当に、それだけなのだろうか?」

と思うことがあります。

もしかすると、その人にも何か事情があるのかもしれない。

もしかすると、別のことに悩んでいるのかもしれない。

もしかすると、私が知らない背景があるのかもしれない。

もちろん、だからといって相手の行動をすべて許すわけではありません。

嫌なものは嫌です。

間違っているものは、間違っている。

でも、

「嫌な行動をした人」=「嫌な人」

と決めつける必要はないのではないか。

そう思えるようになりました。

第2章 一つの出来事だけでは、人は分からない

人間は、一つの行動だけでは分からない。

最近、私はそう思っています。

例えば、普段は穏やかな人が、ある日突然、誰かにきつく当たったとします。

その一場面だけを見れば、

「怖い人だ」

「性格が悪い」

と思うかもしれません。

でも、その人には、その人なりの事情があるかもしれない。

逆に、いつも優しく見える人が、別の場面では誰かを傷つけることもある。

人間は、そんなに単純ではありません。

だから私は、

一つの出来事だけで人を判断しない。

そう考えるようになりました。

その人が過去にどんな行動をしてきたのか。

別の場面ではどうなのか。

誰に対しても同じなのか。

そのときだけ特別な事情があったのか。

いくつかの状況を考えてみる。

すると、最初に見えていたものとは違う人物像が浮かんでくることがあります。

私は、こうやって物事を考えることが、自分の「洞察力」につながっているのだと思います。

第3章 相手を理解することと、相手に合わせることは違う

ここは、私にとってかなり大切なところです。

相手のことを考える。

相手の事情を想像する。

相手の感情を考える。

だからといって、

相手に合わせなければならないわけではありません。

これは、以前の私には少し分かりにくかったことかもしれません。

相手を理解することと、相手を受け入れることは違う。

相手を理解することと、相手の言う通りにすることも違う。

例えば、

「この人は、こういう理由があって怒っているのかもしれない」

と理解したとしても、

「だから自分が悪いことにしよう」

とは限りません。

「この人にも事情があるのだろう」

と思いながら、

「でも、自分はこれは嫌だ」

と言ってもいい。

私は、ここに人間関係における「距離感」があると思っています。

相手を見る。

理解しようとする。

でも、自分まで相手にならない。

自分の感情や考えも大切にする。

この両方が必要なのだと思います。

第4章 「人を考える」ことが、自分を守ることにもなった

面白いことに、人を理解しようとすることは、相手のためだけではありませんでした。

自分自身を守ることにもなったのです。

相手の行動を表面だけで判断していた頃は、相手の一つ一つの行動に感情を揺さぶられていました。

「なんで?」

「どうして?」

「ありえない」

そんなふうに、相手の行動に自分の感情を持っていかれていた。

でも、

「この人はなぜこうしたのだろう?」

と考えるようになると、少し変わります。

相手を観察する側に回ることができる。

もちろん、自分の感情はあります。

腹が立つこともある。

悲しいこともある。

納得できないこともある。

でも、その感情を抱えたまま、

「さて、実際には何が起きているんだろう?」

と考えられる。

すると、自分と相手の間に少し距離ができます。

その距離が、私を助けてくれました。

そして今になって思うのです。

相手を理解しようとすることは、必ずしも「相手に優しくすること」ではない。

むしろ、

自分自身を感情から助けるための方法でもあったのではないか。

まとめ 人を決めつけないことも、優しさなのかもしれない

私は、昔よりも人を簡単に判断しなくなったと思います。

もちろん、今でも腹が立つことはあります。

「それは違うだろう」と思うこともあります。

人間ですから、感情がなくなったわけではありません。

ただ、

「この人は嫌な人だ」

と結論を出す前に、

「なぜ、この人はこうしたのだろう?」

と考えるようになりました。

一つの出来事だけではなく、複数の状況を見る。

相手の事情を想像する。

自分の感情も確認する。

そして、自分と相手との距離を保つ。

それによって、以前よりも冷静に人間関係を見ることができるようになりました。

そして、ここまで来て、また「優しさ」という言葉が気になってきます。

相手を理解する。

相手の事情を考える。

簡単に決めつけない。

でも、自分自身も犠牲にしない。

もしかすると、これも「優しさ」と呼ばれるものなのかもしれません。

ただ、私はまだ、

「相手のことを考えること」と「自分の考えを伝えること」

の関係について、少し引っかかっています。

相手のことを考えるなら、自分の気持ちは黙っていた方がいいのでしょうか。

それとも、自分の考えをきちんと伝えることも、相手に対する優しさなのでしょうか。

最近の私は、どうも後者なのではないかと思い始めています。

次回は、「自分の考えを表現すること」と「優しさ」の関係について、考えてみたいと思います。

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