こんにちは ヨハニです。 ※本ページはプロモーションを含みます。
40代になってから、ふと考えることがあります。
「この先の人生は、きっとこんな感じなんだろうな」と。
仕事はこうしていく。
家庭はこうなっていく。
子どもたちが成長して、やがて巣立っていく。
自分も年齢を重ね、体力も少しずつ変わっていく。
そして、今の生活の延長線上に、何となく「これから」が見えてくる。
もちろん、それは悪いことではありません。
これまでの経験から未来を想像することは、人生を考えるうえで必要なことでもあります。
ただ、最近の私は、そこに少し違和感を覚えるようになりました。
「本当に、この先は自分が今見えている通りになるのだろうか?」
そんな疑問です。
私はこれまで、人生についてかなり考えてきました。
考えることによって、自分のことが分かるようになった部分もあります。
けれど同時に、考えれば考えるほど、未来を狭く捉えてしまうこともあるのではないか。
そんなことを、最近少しずつ感じています。
第1章 未来は「今の自分」からしか見えない
私たちは、未来について考えます。
「これからどうなるのだろう」
「老後はどうしよう」
「仕事はこのままでいいのだろうか」
「今から何かを始めても遅いのではないか」
いろいろなことを考えます。
でも、よく考えてみると、未来を想像するときに使っている材料は、今の自分が持っているものです。
これまでの経験。
今の仕事。
今の人間関係。
今の生活。
今の能力。
今までうまくいったこと、失敗したこと。
それらを材料にして、「きっと未来もこうなるだろう」と考えます。
私は、このことに気づいたとき、少し怖くなりました。
なぜなら、
私は、自分が理解できる範囲でしか未来を想像できないのではないか。
と思ったからです。
考えている本人にとっては、それが「未来」です。
でも実際には、
「今の自分から見えている未来」
なのかもしれません。
今の自分が知らない場所。
今の自分が出会っていない人。
今の自分が経験していない出来事。
そういうものが未来に存在していることを、私たちは知っています。
それなのに、その未来を今の自分だけで完成させようとしている。
そう考えると、少し不思議な気持ちになります。
第2章 「このままなのかな」と思っていた自分
私は以前、仕事についても同じようなことを考えていました。
「この先も、この仕事を続けていくのだろうか」
「この働き方を何年続けるのだろう」
「この先、何が変わるのだろう」
そんなことを考えていました。
もちろん、現実的に考えれば、今までの経験からある程度の予測はできます。
でも、その予測がそのまま未来になるとは限りません。
それでも人は、現在の延長線上に未来を置きたくなります。
その方が安心だからです。
分からない未来より、
「たぶん、こうなるだろう」
と思える未来の方が、扱いやすい。
たとえ、それが少し悲観的な未来だったとしてもです。
私は、ここが人間の面白いところだと思います。
「良い未来」よりも、「予測できる未来」を選んでしまうことがある。
「このまま大きくは変わらないだろう」
そう思ってしまえば、不安はある程度整理できます。
でも、それは本当に安心なのでしょうか。
もしかすると、
「変わらないことへの安心」と「変わる可能性を失うこと」は、別のものなのではないか。
そんなことを考えるようになりました。
第3章 未来を決めるには、まだ材料が足りない
ここで私は、自分の思考の癖についても考えるようになりました。
私は、考えることが好きです。
何かを始める前にも、いろいろ考えます。
「これは意味があるのか」
「この先どうなるのか」
「本当にやる価値があるのか」
「失敗したらどうするのか」
そうやって考えているうちに、いつの間にか「考えること」が目的になっていることがあります。
でも、考えている材料は、結局のところ今の自分が持っているものです。
だから、どれだけ考えても、今の自分の外側にあるものまでは完全には想像できません。
これは、当たり前のことなのかもしれません。
でも、私にとっては大きな気づきでした。
自分の未来を考えるための材料を、自分自身がまだ持っていない。
そうであるなら、
「これからどうなるのか」を考え続けても、答えが出ないのは当然なのかもしれません。
むしろ必要なのは、答えを考え続けることではなく、
未来を知るための新しい材料を、自分で増やしていくこと。
そのためには、何かを経験するしかありません。
何かをやってみる。
人と出会う。
場所を変えてみる。
新しいことを始めてみる。
失敗してみる。
そうやって初めて、今の自分にはなかった材料が手に入ります。
第4章 だからといって、すぐに答えが出るわけではない
ここまで考えると、
「では、行動すればいいじゃないか」
となりそうです。
確かに、その通りだと思います。
でも、私はここでも少し立ち止まります。
行動したからといって、必ず良い結果になるわけではありません。
やってみたけれど、うまくいかないこともある。
思っていたものと違うこともある。
時間をかけたのに、何も残らないように感じることもある。
だから、
「行動すれば未来は明るくなる」
と簡単に言うことはできません。
私自身、そんなに楽観的ではありません。
むしろ、放っておくと否定的、消極的な方向に考えやすいところがあります。
だからこそ、私は自分に対して、
「未来を悲観するな」
と言うより、
「まだ分からないだろう」
と言ってみることにしました。
今の自分には、まだ見えていないものがある。
今の自分には、まだ経験していないことがある。
今の自分には、まだ出会っていない自分がいる。
そう考えてみる。
すると、不思議なことに、未来が少しだけ広がったように感じました。
明るい未来が見えたわけではありません。
問題が解決したわけでもありません。
ただ、
「今見えている未来が、未来のすべてではないかもしれない」
と思えるようになったのです。
まとめ まだ、未来は決まっていない
私は今、自分の人生について以前よりも慎重に考えるようになりました。
でも、それは「もっと完璧に人生を設計しよう」という意味ではありません。
むしろ逆です。
自分の頭だけで、人生の未来を完成させようとしない。
そのことを意識するようになりました。
今の自分から見える未来は、確かに未来の一つかもしれません。
でも、それがすべてではない。
まだ経験していないことがある。
まだ出会っていない人がいる。
まだ知らない自分がいる。
そして、これから何かを始めれば、今の自分の考え方そのものが変わるかもしれない。
そう考えると、
「この先も、きっとこうなんだろう」
と思っていた未来に、少しだけ余白が生まれます。
私は、その余白を「希望」と呼んでもいいのではないかと思っています。
未来が明るいと決まったわけではありません。
何かが成功すると約束されたわけでもありません。
ただ、
まだ分からない。
それだけです。
でも、人生にとって、この「まだ分からない」という感覚は、案外大切なのかもしれません。
なぜなら、
まだ分からないということは、まだ決まっていないということでもあるからです。
そして私は最近、こう思うようになりました。
自分の未来を、今の自分の頭の中だけで完成させなくてもいいのではないか。
その答えを探すために、次は少しだけ動いてみようと思います。
