こんにちは ヨハニです。
※本ページはプロモーションを含みます。
前回の記事では、私の中で「理想の自分」がどんどん大きくなっていたことについて書きました。
もっと健康になりたい。
もっと充実した人生を送りたい。
もっと仕事ができるようになりたい。
もっと家族との時間を大切にしたい。
もっと勉強したい。
もっとブログを書きたい。
もっと自分らしく生きたい。
考えているだけなら、いくらでも理想を大きくできます。
そして、いつの間にか、
「私は一体、何者になるつもりなんだ?」
というところまで行ってしまう(笑)。
ところが最近、そんな自分に少し変化が起きています。
それは、
「とりあえず、少しやってみよう」
と思えるようになったことです。
そして実際にやってみると、不思議なことが起きます。
理想の自分が、急に小さくなるのです。
第1章 「やる前」と「やった後」では、同じ自分なのに違っている
例えば、歩くこと。
歩く前の私は、
「今日は歩いても大したことないかな」
と思っていることがあります。
疲れている。
少し面倒くさい。
今日は家でゆっくりしていたい。
そんな気持ちもあります。
だから、
「歩いたところで何が変わるんだろう」
と思う。
でも、実際に歩いてみる。
最初は、
「やっぱり面倒だな」
と思っています(笑)。
ところが、しばらくすると体が温まってくる。
呼吸が変わる。
汗が出てくる。
体が少しずつ動きやすくなる。
そして歩き終わる。
すると、
「ああ、歩いてよかったな」
と思う。
問題が解決したわけではありません。
人生が劇的に変わったわけでもありません。
それなのに、
自分の気分が変わっている。
これは、考えているだけでは起こりません。
「歩いた方がいいかな」
「今日は休んだ方がいいかな」
と、頭の中でいくら考えても、この変化は起きない。
実際に体を動かして初めて起きる。
この違いは、かなり大きいと思っています。
第2章 体が疲れると、なぜか心が軽くなる
私は以前、
「疲れないこと」が良いことだと思っていました。
できるだけ効率よく。
できるだけ無駄なく。
できるだけ疲れないように。
もちろん、体を壊すほど頑張る必要はありません。
でも最近は、
「適度に疲れることも悪くない」
と思うようになりました。
むしろ、
良い疲れ方をすると、気持ちが整うことがある。
歩いた後。
体を動かした後。
家のことを少しやった後。
何かを作った後。
そういう時に、
「疲れたな」
と思いながらも、
どこか気分が良い。
これは、頭を使い続けた時の疲れとは違います。
考えすぎて疲れた時は、
「もう何もしたくない」
となります。
でも、体を使って疲れた時は、
「今日はよくやった」
という感じがする。
同じ「疲れた」でも、全然違う。
私は最近、この違いをかなり実感しています。
第3章 「薄く重たいヴェール」が剥がれていく
そして、もう一つ感じることがあります。
何もしないで家にいる時、
特に大きな悩みがあるわけではありません。
それなのに、
なんとなく気分が重い。
何かをしなければと思う。
でも、何をすればいいのか分からない。
考える。
また考える。
「こうした方がいいかな」
「いや、こっちの方がいいかもしれない」
そうしているうちに、さらに動けなくなる。
そんな時があります。
私はこの状態を、
「薄く重たいヴェールがかかっている」
ような感覚だと思っています。
目の前が真っ暗なわけではない。
何も見えないわけでもない。
ただ、少しだけ重い。
少しだけ曇っている。
ところが、
外に出て歩いてみる。
体を動かしてみる。
掃除をしてみる。
何かを作ってみる。
ブログを書いてみる。
すると、
そのヴェールが少しずつ剥がれていく。
「まあ、そんなに悪くないな」
と思えてくる。
これも、行動したからこそ分かったことです。
第4章 行動すると「これくらいでいい」と思える
そして今回、私が一番面白いと思っているのがここです。
行動する前の私は、
ものすごく大きなものを求めている。
ところが、行動した後は、
「これくらいでいいな」
と思っている。
例えば、
「理想的な休日を過ごしたい」
と思っていたとします。
朝から運動して、
家を完璧に掃除して、
庭を整えて、
本を読んで、
ブログを書いて、
料理をして、
家族と楽しく過ごして……。
頭の中では、ものすごく充実した休日です(笑)。
でも実際には、
少し歩いて、
家のことを一つやって、
ブログを少し書いて、
家族と過ごす。
夕方になって、
「今日はよく動いたな」
と思う。
それだけで満足している自分がいる。
この差は、一体何なのでしょう。
私は、
行動することで、自分の本当の欲求が見えてくるのではないか
と思うようになりました。
頭の中の欲求は、どこまでも大きくできます。
でも、体は正直です。
「これくらい動いたら気持ちいい」
「これくらい疲れたら満足できる」
「これくらいやれば、今日は十分」
というところを、体が教えてくれる。
だから、
行動は、自分を知るための方法でもある。
最近、そんなふうに思っています。
第5章 「大きな人生」より「納得できる一日」
以前の私は、
「人生を変える」
という言葉をかなり大きく捉えていました。
仕事を変える。
生活を変える。
考え方を変える。
健康を変える。
人生そのものを変える。
でも今は、
少し違います。
人生というものは、
一日一日の積み重ねです。
だったら、
「人生を変える」より先に、「今日を少し変える」
ことの方が大切なのかもしれません。
今日、少し歩く。
今日、少し体を動かす。
今日、一つ片付ける。
今日、一本ブログを書く。
今日、家族と話す。
今日、本を少し読む。
それだけでもいい。
そして夜になって、
「今日はこれでよかった」
と思える。
それが何日も続けば、
結果的に人生も少し変わっているのではないでしょうか。
まとめ 行動すると、理想の自分が現実の大きさに戻ってくる
ここまで考えてきて、私は一つのことに気づきました。
私はこれまで、
「理想の自分に近づくために行動する」
と思っていました。
でも、もしかすると逆なのかもしれません。
「行動することで、本当に自分が求めていたものが分かる。」
行動する前は、
「もっとすごい人にならなければ」
と思っている。
でも、実際に少し動くと、
「これくらいで結構いいな」
と思える。
そして、
「今日はよくやった」
と思える。
これは、理想を諦めたということではありません。
むしろ、
自分の本当の望みが分かってきた
ということなのだと思います。
頭の中では、何者にでもなれます。
とんでもない偉人にもなれる(笑)。
でも、実際の自分は、
少し歩いて。
少し汗をかいて。
少し家を整えて。
少し文章を書いて。
家族と過ごして。
一日の終わりに、
「今日も悪くなかったな」
と思えれば、案外満足している。
だとしたら、
私がこれまで求めていた「理想の人生」は、
思っていたほど大きなものではなかったのかもしれません。
そして、それに気づくためには、
もっと考える必要があったのではなく、
少し動いてみる必要があった。
そんな気がしています。
人生を変える答えを頭の中で探し続けるより、
まず体を少し動かしてみる。
その結果、
気分が変わる。
見え方が変わる。
欲しいものの大きさが変わる。
そして、
「これくらいなら、自分も納得できる」
と思える。
ここまで来ると、
次に考えたくなることがあります。
では、
「自分が納得できる一日」とは、一体どんな一日なのだろう。
そして、
自分を納得させるために、本当に必要なものは何なのだろう。
次回は、
「自分を納得させるために、今日できること」
について考えてみたいと思います。
もしかすると人生は、
大きな目標を達成することよりも、
「今日の自分が、今日の自分に納得できるか」
の積み重ねなのかもしれません。

