こんにちは。ヨハニです。
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前回の記事で、
「もしかして、私は世間でいう『繊細さん』なのでは?」
ということについて考えてみました。
もちろん、私は専門家ではありません。
自分を「繊細さん」と決めつけたいわけでもありません。
ただ、40年生きてきた自分を振り返ってみると、
「私は、いろいろなものを受け取りやすいのかもしれない」
と思うことがあります。
人の言葉。
人の表情。
その場の空気。
誰かの感情。
そして、世の中にある「こうあるべき」という価値観。
前回は、
「自分には、どんな性質があるのだろう?」
というところから、自分自身を眺めてみました。
今回は、もう少し先へ進んで、
「私は、いったい何を受け取っているのだろう?」
ということを考えてみたいと思います。
① 私は、いろいろなものを受け取っている
人と話しているとき、私たちは相手の言葉を聞いています。
でも、実際には言葉だけを受け取っているわけではないのかもしれません。
表情。
声のトーン。
ちょっとした間。
視線。
その場の空気。
そういうものも、知らないうちに受け取っている。
私の場合、それが結構気になるほうです。
例えば、いつもより相手の返事が短い。
いつもと少し表情が違う。
何となく、空気が重い。
そんなことに気づくと、
「何かあったのかな?」
と考えてしまう。
もちろん、本当に何かあるとは限りません。
相手が疲れているだけかもしれない。
別のことを考えているのかもしれない。
何もないのかもしれない。
それでも、一度気づいてしまうと、
「何だろう?」
と考え始めてしまいます。
そして私の場合、ここからが長い(笑)。
そして、受け取っているのは人の感情だけではありません。
「仕事は頑張るもの」
「40代なら、もっとしっかりしなければ」
「将来のために準備しなければ」
「もっと成長したほうがいい」
「健康にも気をつけなければ」
「人から評価される人間でありたい」
そんな価値観も、長い人生の中で少しずつ自分の中に入ってきます。
誰か一人に言われたわけではありません。
テレビや本、インターネット。
職場や友人との会話。
周囲の人たちの生き方。
そういうものを見たり聞いたりするうちに、
「自分も、こうしたほうがいいのかな」
と思う。
気づけば、
誰かの基準だったものが、自分の基準になっている。
そんなこともあるのかもしれません。
② 受け取ったものを、自分の中で考え始める
例えば、誰かの表情が少し曇っていたとします。
それを見て、
「今日は少し元気がないのかな」
くらいで終われば、それほど問題はありません。
ところが私は、
「何かあったのかな?」
↓
「もしかして、自分が何かしたのかな?」
↓
「さっきの言葉が悪かったのかな?」
↓
「だったら、次はどうすればいいんだろう?」
と、どんどん考えてしまうことがあります。
最初は、
「相手の表情が少し違った」
だけだったはずなのに、
いつの間にか、
「自分はどうすればいいのか」
という問題になっている。
今振り返ると、私は外から受け取ったものを、そのまま流しているというより、
自分の中に持ち込んで、考える材料にしている
のかもしれません。
そして、もっと厄介なのが、
「こうなれたらいいな」
だったものが、
「こうならなければいけない」
に変わってしまうことです。
「健康になりたい」
が、
「健康でなければならない」
になる。
「仕事を頑張りたい」
が、
「仕事で結果を出せなければ、自分はダメだ」
になる。
「もっと良い暮らしがしたい」
が、
「今の暮らしでは足りない」
になる。
そうやって、外から受け取ったものを自分の中で考え続けるうちに、
自分の理想そのものが、どんどん複雑になっていたのかもしれません。
③ でも、振り返ってみたら、私は受け取ったものを外へ出していた
ここからは、今回自分を振り返っていて気づいたことです。
私は、いろいろなものを受け取って、
それについて考えて、
そのまま自分の中に溜め込んでいるだけではないようなのです。
どうも私は、
何らかの形にして、外へ出している。
らしい。
……といっても、最初からそんなことを意識していたわけではありません(笑)。
ただ、振り返ってみると、
歩いている。
本を読む。
植物を育てる。
お香を焚く。
お茶を点てる。
仕事をする。
文章を書く。
ブログを書く。
何かを作る。
そして、海を見る。
一見すると、全部バラバラです。
でも、
「これって、もしかして同じ方向を向いているんじゃないか?」
と思うようになりました。
例えば、何か気になることがある。
↓
考える。
↓
歩く。
↓
頭の中が整理される。
また何かを感じる。
↓
本を読む。
↓
新しいことを知る。
また考える。
↓
文章にする。
↓
ブログを書く。
すると、頭の中にあったものが少し整理される。
植物を育てることも、お茶を点てることも、お香を焚くことも、何かを「解決」しているわけではありません。
でも、その時間を過ごすことで、少し気持ちが落ち着いたり、頭の中が静かになったりする。
海を見ることもそうです。
何か答えが見つかるわけではない。
それでも、海を眺めていると、
「まあ、いいか」
と思えることがあります(笑)。
そう考えてみると、
もしかすると私は、
外から受け取ったものを、自分なりの方法で処理して、外へ出しているのかもしれません。
これは、私の思い込みかもしれません。
でも、40年生きてきた自分を振り返ると、
どうもそんな流れがあるように見えるのです。
④ 受け取ったものを、全部自分のものにしなくてもいい
ここまで考えて、もう一つ気づいたことがあります。
何かを受け取ったからといって、
それを全部、自分のものにする必要はない。
ということです。
誰かの価値観を知る。
でも、それを自分の価値観にする必要はない。
誰かの生き方を見る。
でも、その人と同じ人生を歩む必要はない。
誰かに何かを言われる。
でも、その言葉を自分への評価として採用する必要はない。
「受け取る」と「採用する」は、別なのかもしれません。
人と比べることも、完全になくす必要はないのだと思います。
「あの人はすごいな」
と思うこともある。
「あんなふうになれたらいいな」
と思うこともある。
それ自体は、悪いことではありません。
ただ、そのたびに、
「自分もそうならなければ」
と考える必要はない。
誰かの良さを見つけても、
「自分は自分で、何を大切にしたいのだろう?」
と考えてみる。
最近の私は、そんなふうに考えることが増えました。
他人と比べて自分を決めるのではなく、自分の中に基準を置いてみる。
それだけでも、少し人生が軽くなるような気がしています。
まとめ 自分の中にある「流れ」を知ってみる
今回、自分のことを振り返ってみて、一つ面白いことに気づきました。
私は、
いろいろなものを受け取る。
↓
それについて考える。
↓
時には、それを自分の基準にしてしまう。
↓
そして、
歩いたり、読んだり、作ったり、書いたり、植物を育てたり、お茶を点てたり、海を見たりする。
↓
少し自分に戻る。
どうも、そんな流れがあるようなのです。
もちろん、これは私が自分を振り返って見つけたものです。
正しいのかどうかは分かりません(笑)。
でも、
「自分には、こういう流れがあるのかもしれない」
と知っておくことは、これからの自分にとって悪くない気がしています。
例えば、
「なんだか疲れているな」
と思ったとき。
「最近、外から受け取りすぎていないかな?」
と考えられる。
頭の中がいっぱいになっているなら、
「何かを外へ出したほうがいいのかもしれない」
と考えることもできる。
そう考えると、
自分を整えるということは、自分を変えることだけではないのかもしれません。
自分がどういう流れで生きているのかを知る。
そして、その流れの中で、自分に戻る方法を知っておく。
それも、自分を整える一つの方法なのではないでしょうか。
そして私は今、
「自分に戻る」ということが、少し気になっています。
歩くこと。
本を読むこと。
植物。
お香。
お茶。
仕事。
ブログ。
創作。
海。
私は、どうやらこういうものに触れていると、少し自分に戻れるようです。
では、
「自分に戻る」って、いったいどういうことなんだろう?
そして、
私は、どんな時間を過ごすと、自分に戻れるのだろう?
次回は、そんなことを考えてみたいと思います。

